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こころの音202

「シュタインズ・ゲート」という
アニメがあります。

この「シュタインズ・ゲート」という物語は、
映画ドラマ、アニメなどでは
よくある、
「タイムマシン」を題材にした話しですが、
携帯電話を使って、
過去にメールを送るというのが、
斬新(ざんしん)かもしれない。

主人公の岡部は、
ひょんなことから、
過去にメールが送れる
装置(そうち)を発明する。

しかし、過去にメールを送るたびに、
過去が変わり、
そのことによって現在も大きく変わる。
その繰(く)り返しの中、
最終的には、
取り返しのつかない大変なことに
なってしまうという、物語です。

たった一通のメールであったとしても、
過去にメールが送れるとしたら、
ひとりの人生、
あるいは世界を、
大きく変えることになってしまう。

場合によっては、
人の生死を変えることすら
可能となってしまう。
その繰(く)り返しの中、
世界が大きく変わり、
大きな事件をもたらす結果となってしまう。

このアニメの中では、このように説明している。

ひとつの人生、
あるいはひとつの運命、
ひとつの人生軸(じんせいじく)のもとに
形成(けいせい)された世界を、
ひとつの『世界線(せかいせん)』
ととらえる。

人間の人生、世界の成り行きを、
ひとつの『世界線』のうえに成(な)り立っていると
考えるわけです。

ところが、タイムマシンを使い、
過去に行って、
Aという人を殺したとする。

そうすると、その世界は、
今まで、Aという人間が
存在する「世界線」であったものが、
Aという人間が存在しない、
別の世界線へと移動する。

「世界線」が変わるわけです。

そうすると世界の歴史や、
さまざまな人間の人生までも
変わってしまう。

そう、とらえています。

そして、そのことを

『世界線が変わる』

と表現しています。


主人公の岡部が、
過去にメールを送ることによって、
その「世界線」が変わり、
その繰り返しの中、
とんでもない事件に巻(ま)き込まれる
ということです。

やがて岡部は、
仲間とともに、
メールではなく、
人間の記憶(きおく)を
過去に送る装置(そうち)を開発する。

肉体は無理でも
記憶を過去に送ることができれば、
ほとんどタイムマシンと
同じようなことができるということです。

そのことを、このアニメでは、
「タイムリープ(時間を跳躍[ちょうやく]すること)」
と表現しています。

そして、その装置をめぐり、
岡部の幼(おさな)なじみである、
マユリが殺されてしまう。

岡部は、マユリを助けるために、
タイムリープ・マシンを使い、
過去へと戻(もど)り、
マユリを救(すく)おうとする。

マユリを逃がし、
別の場所へと逃避(とうひ)する。

しかし、なぜだか、
同じ時刻になると、
マユリは殺されてしまった。

そして、岡部は、
そのたびにタイムリープを繰り返し、
過去に戻るが、
どんな手をつかっても、
どんな場所に逃げても、
暗殺者に殺されなかったとしても、
暗殺者が現れなくても、
マユリは同じ時刻になると、
必ず死んでしまった。


まるで、運命に殺されるかのように・・・。


このアニメの中では、このように説明しています。

一本のロープを
天井に吊(つ)るしたとする。

一本のロープは、一見(いっけん)、
一本に見えるけれども、
実際は、細い糸が何本も何本も
重(かさ)なって、一本のロープを
形成(けいせい)している。

その一本一本の細い糸が、
『世界線』だというのです。

一本一本の細い糸は、
それぞれが独立(どくりつ)した
糸ではあるけれど、
それがまとまったロープの到達点(とうたつてん)は、
必ず、天井に吊るした
到達点である『一点』にたどり着く。

一本一本の細い糸が、それぞれ違うように、
かりに「世界線」が違ったとしても、
最終的には、
同じロープの到達点、
「一点」にたどり着いてしまう。

すなわち、最終的な結果を
変えることは、できない!
ということです。

ゆえに、岡部が過去に戻り、
どんなにマユリを助け、
行動を変えても、
最終的な到達点である
「マユルの死」を変えることができない・・・!


このような、
どうしても避(さ)けることのできない
宿命(しゅくめい)のようなものを、
創価学会が実践する「仏法(ぶっぽう)」では、
『宿業(しゅくごう)』といいますが、
小手先(こてさき)で、どんなに手を尽(つ)くしても、
どんなにお金を使っても、
ありとあらゆる方法を駆使(くし)したとしても、
変えられないのが、
悪(あ)しき運命といえる
『宿業(しゅくごう)』です。

では、宿命とも宿業ともいえる、
「マユリの死」を、
どうやって回避(かいひ)し、
変えていくのか・・・?

このアニメでは、こう説明している。

たとえ過去に戻り、
世界線を変えたとしても、
その世界線が、
一本のロープのような
一点の結果に向かう世界線であるならば、
結果を変えることはできない・・!

宿命とも運命ともいえる、
その変えられない結果を変えるためには、
一本のロープに束(たば)ねられた世界線ではなく、
別の違うロープに束ねられた世界線に
移動するような
大きな変化をもたらさなければならない。

すなわち、別の、もう一本のロープに
飛び移るような、
大きな、
劇的(げきてき)な変化が
必要となる。

その大きな劇的な変革(へんかく)を
成し遂(と)げないかぎり、
「マユリの死」とう
結果を変えることは、できないと・・。

そして、その劇的な変化を起こすために、
この物語は
展開(てんかい)されていくわけです。


かりに、世界線という運命の糸を、
少し変えることができたとしても、
その到達点である
結果を変えることは、できない・・・。

先ほど言ったように、
このようなどうしても変えられない
悪(あ)しき宿命を、
宿業(しゅくごう)と言いますが、
この「宿業」を打ち破(やぶ)り、
変えないかぎりは、
未来は開けない。

人は、この宿業があるから、
苦しみ、敗れ、
不幸に沈(しず)んでいく・・
と言えます。

そして、その宿命を変えるためには、
世界線の集まった一本のロープから、
別の世界線のロープに飛び移るような、
劇的な変革が必要となる・・・!

実はその、
世界線の集まった、
宿業という結果を変えられない
一本のロープから、
宿業を打ち破り宿命を変えることのできる
別の世界線のロープに
飛び移るようなことを可能にする、
唯一(ゆいいつ)の方法といえるのが、
創価学会(そうかがっかい)が実践する、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰であり、
その仏法の実践活動である
創価学会の活動なんです。

南無妙法蓮華経とは、
南無妙法蓮華経という
法則(ほうそく)であり力とは、
この宿業を打ち破り変えることのできる
力(ちから)であり、
法則だと、
言えます。

創価学会の人たちは、
その
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法』
を実践しているから、
幸せになっていけるんです。

どうしても変えられなかった
宿業を打ち破り、
宿命を転換(てんかん)して、
幸せをつかんでいけるんです。

そして、そういう偉業(いぎょう)を
創価学会のひとりひとりが、
ことごとく!
やってきたのが、
創価学会の歴史です。

だから、創価学会は
発展しているのであり、
世界192カ国に広がっているんです。

別に、タイムマシンがなくても、
世界を、
平和に、幸福に、変え、
ひとりひとりの悩みを解決し、
夢や希望をかなえさせ、
最高の幸せをつかませてきたのが、
創価学会です・・・。

あえて例(たと)えるならば、
このアニメでいう、
世界線の集まった一本のロープから、
別の世界線のロープに
飛び移るような変化を、
現実の世界で実現してきたのが、
創価学会だと
言うこともできます。

また、それを可能にするのが、
創価学会が実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

このアニメでは、
過去を変えることによって、
未来を変えていった。

けれど、未来を変えるのだったら、
別に、
過去を変える必要はない・・。


すなわち、「今」を変えればいいわけです。


そして、その「今」を劇的に変えていく、
究極(きゅうきょく)にして最大の力が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。


創価学会が実践している、
その「仏法(ぶっぽう)」では、
『一念三千(いちねんさんぜん)』
という法則を、
説いています。

『一念三千』とは、
心の違(ちが)いによって、
違う三千の世界ができあがる!
という生命の法則です。

どういうことかというと、
もし、本当に
「こころ」を変えることができたとしたら、
その人の世界は
変わっていく!!
ということです。

そしてその「こころ」を
本源的(ほんげんてき)に、
本当に変えていける
唯一(ゆいいつ)の力と言えるのが、
創価学会の人たちがとなえている
『南無妙法蓮華経』です。

その南無妙法蓮華経をとなえているから、
創価学会の人たちは、
心を変え、
そのことによって自分の世界を変え、
不幸から幸せへ、
絶望から希望へと、
人生と未来を変えていけるわけです。


このアニメの物語は、
架空(かくう)の物語であり、
ありえない話しです。

けれで、仏法で説く
「一念三千」の法則の、
説明に利用することは、
可能です。

創価学会の人たちが、
ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経をとえなえていく時、
南無妙法蓮華経とは、
生命を、心を、
本源(ほんげん)から
劇的に変革していく力なので、
南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、
その人の「こころ」が、
パッと変わる。

簡単に言えば、
不幸だった心が、
幸せに変わるわけです。

一念三千の法則から言えば、
こころが変わるということは、
その人の世界が変わる!
ということです。

シュタインズ・ゲートというアニメで言えば、
『世界線』が変わる!
わけです。

心が変わることによって、
いままで不幸なる世界線にいたものが、
別の、
幸せをもたらす世界線に
変わる!わけです。

かりに、
その変化が最初は目だたない、
ごくわずかの違いだったとします。

けれどそれでも、
最初にいた不幸なる世界線には、
その人はもう、いない!
と考えられます。

こころが変わったことによって、
その人の世界が変わり、
世界線が変わったと考えるわけです。
そして、その世界線が変わった世界で、
また創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる
信仰をやっていくことによって、
また「こころ」が変わり、
世界が変わっていく。

その時点でまた
世界線を移動し、
「世界線」が変わるわけです。

そして、その世界線が変わった世界で、
また南無妙法蓮華経をとなえていった時、
また「こころ」が変わり、
世界が変わっていく。
そしてまた世界線が変わっていく。

幸せの方向へ、
幸せの方向へ、
どんどん世界線を移動していくと、
考えることができます。

そして、その人のいる世界線は、
どんどん分岐(ぶんき)していき、
最初にいた
「不幸なる世界線」とは、
遥(はる)かにかけはなれた
『大いなる幸せの世界線』
に移動している!!と、
とらえることができます。

だから、幸せになっていける。
勝利していける。
最初の不幸なる自分とは、
かけ離れた、
素晴らしい幸せを
つかんでいけるわけです。

そして、そういう変化を
現実の上で可能にするのが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法の信仰だということです。


そして、最も重要なことは、
この、
創価学会が実践している、
『南無妙法蓮華経をとなえる仏法』
の信仰は、
宿命を変え
宿業(しゅくごう)を打ち破ることのできる、
唯一(ゆいいつ)の方法だと
いうことです。


ゆえに、
どうしても変えることのできない
宿命、宿業(しゅくごう)が
立ちふさがったとしても、
シュタインズ・ゲートの中で言う、
一本の、宿命を変えられない
世界線のロープから、
運命を変え
宿業(しゅくごう)を打ち破ることのできる、
別の世界線のロープに
飛び移るような
劇的な変革を、
もたらすことができる。

そして、宿業(しゅくごう)を打ち破り、
新(あら)たな、
最高の幸せと勝利を、
つかんでいける!!


創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰が、
『宿命転換(しゅくめいてんかん)』
『人間革命』を、
可能にするわけです。


それはあたかも・・、
アニメ・シュタインズ・ゲートの中で、
主人公たちが、
マユリを死から救うために、
世界線を大きく変える、
劇的な変革を、
もたらしていったように・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音201

先日から話していますが、
漫画界の巨匠(きょしょう)、
手塚治虫氏の作品で、
「ブッダ」というマンガがあります。

その中で、親を殺した、
悪名高いアジャセ王が登場する。

親を殺した後、
アジャセ王の頭に腫れ物(はれもの)ができ、
その腫れ物はどんどん大きくなり、
アジャセ王は苦しむ。

治(なお)すための治療(ちりょう)方法も見つからず、
医者も途方(とほう)にくれるなか、
ブッダは、

「ためしてみる!」

と言い、
ブッダ独特(どくとく)の治療を始める。

そしてその治療を一日12時間、
三年間も続けた。

そしてブッダの治療は功(こう)を奏(そう)し、
アジャセ王の病気
回復(かいふく)に向かう。

そんな中、
ブッダを嫌(きら)い
憎んできたはずのアジャセ王が、
ブッダに向かって、
感謝のまなざしで

「ニコッ」

と微笑(ほほえ)む。


ブッダは喜ぶ!!

「王がはじめてほほえまれた!」

「かいがあった・・」

「あの微笑みは・・・
まるで・・・・・
神のようだった!!」

「・・・、
神・・・・
神だって!?」

「なんたることだ!?
神・・・・・」

「わかったぞ!
そうだ!
わかったぞ~~っ!」

「人間の中にこそ・・・
神がいる・・・
神が宿(やど)っているんだ!!!」


ブッダは喜びのあまり、
走りつづけ、さけびつづけた!

「私はアジャセ王の微笑みに
神のような美しさを見つけました!!」

「修行僧(しゅぎょうそう)でもない、
聖者(せいじゃ)でもない、
ふつうの人間です!!」

「神というのは
だれの心にも宿っているのですな!?
だれでも神になれるのですね!?
そうでしょう?」

「私はいままで、
きびしい修行をして聖者になることを、
弟子たちに教えてきました。」

「そうじゃない!
そうじゃないんだ!!
聖者どころか、
神には・・・
だれでもなれるんだ!!!」



マンガとはいえ、
なかなか鋭(するど)いと思います。

神というと大げさかもしれないけれど、
アジャセ王の微笑みに
神を見たと言っているので、
その「神」というのは
大げさな超人的(ちょうじんてき)なものではなく、
人間性に直結(ちょっけつ)するもの、
より人間らしいもの、
人間性の究極(きゅうきょく)、
人間の中にある
「大いなる尊厳(そんげん)」
のようなものなんだと思う。

その「大いなる尊厳」
「人間性の究極」のようなものが、
すべての人の中に、
そなわっている・・・!!!


そのようなことを
言いたかったのではないか? 
と思う。


そしてその、神のような生命は、
実は、
すべての人の中に
そなわっている!!


実は、ここに、
仏法(ぶっぽう)の
優(すぐ)れた思想と哲学(てつがく)がある。

神のような生命というと、
わかりずらいかもしれませんが、
幸せをもたらす生命、
幸せをもたらす無限の力(ちから)と考えると、
わかりやすいかもしれない。


その幸せをもたらす無限の力は、
自分の外にあるのではない。

「自分の中にある!!!」


このように、
幸せを自分の外に求めるのではなく、
自分の中に求める生き方を、
『内道(ないどう)』
といいます。

「内(うち)」に幸せを求める「道」
ということです。


それに対して、
自分の外に幸せを求めることを
『外道(げどう)』
といいます。

地位や権力(けんりょく)、
お金や世間の評判(ひょうばん)など、
自分の外にあるものによって
幸せになろうとする生き方が、
「外道」の生き方だと言えます。

環境がこうだから幸せになれない。
あの人がこうだから幸せになれない・・・と、
幸せになれない理由を、
自分の外に並(なら)べ上げたりする生き方も、
『外道(げどう)』の考え方であり
生き方だと言えます。


そして、「外道」の典型(てんけい)と言える宗教が、
実は「キリスト教」です。

キリスト教は、神という、
自分とは、かけ離れた存在に、
幸せを祈ります。

自分には幸せになる力(ちから)がないから、
神におすがりするということです。

自分には幸せになる力(ちから)がないから、
自分とは、かけ離(はな)れた存在である神様に、
ひたすら、
おすがりして、ほどこしてもらう・・。

そういう意味合いが強くなっていきます。

けれど、ここには、
はっきり言って希望はありません。

神をあがめても、あがめても、
自分と神との距離は
永遠に縮(ちぢ)まることはなく、
神をあがめれば、あがめるほど、
逆に人間との距離がどんどん離れていく。

人間は、どんどん卑小(ひしょう)になり、
みじめな存在になっていく。

そして精神的には、
自分という存在(そんざい)が、
神の奴隷(どれい)のようになってしまいます。

この絶望(ぜつぼう)のドグマから
解放(かいほう)されることは永遠になく、
人間は救われない生き物だということに
なっていきます。


ここにキリスト教の限界(げんかい)があり、
キリスト教に疑問(ぎもん)をいだき、
キリスト教から離(はな)れていく人も
多いと思います・・。

また、キリスト教でなくても、
現代の日本の宗教、
葬式(そうしき)仏教や神社信仰、
観光宗教なども、
単(たん)なる「外道の宗教」でしかないと言っても、
おかしくないと思います。

正月などに、「パンパン」と手を合わせて、
棚(たな)からぼた餅(もち)のようなことを
祈る・・。

それこそ、
自分の外にあるものによって幸せを求める
典型(てんけい)だと思います。

葬式仏教などでは、
葬式で坊(ぼう)さんに高いお金を払って
お経(きょう)をあげてもらう。
それで亡くなった方が
成仏(じょうぶつ)するんだったら、
こんな簡単なことはないけれど、
そんなことはありません。


大切なことを、
人におまかせして祈ってもらう。
考えてみたら、おかしなことです。


一番大切な幸せを、
なにか外から降(ふ)ってわいてくるように、
神頼(かみだの)みしてみたところで、
それで幸せになれるとは考えられません。

それどころか、
葬式仏教や神社信仰、
観光宗教それ自体(じたい)が、
実際、デタラメな間違(まち)った宗教であるために、
それにおすがりして祈るということは、
間違ったもの、デタラメなものに、
おすがりすることになり、
その人を不幸にしてしまう・・。

どういうことかというと、
間違ったデタラメな宗教に祈るということは、
間違ったデタラメの宗教に
自分の生命と人生を
ささげることになります。

間違ったデタラメの宗教に
人生と生命をささげたならば、
当然(とうぜん)、自分の生命と人生は、
デタラメで間違ったものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメなものになっていったならば、
その結果として、
さまざまな形で
不幸がもたらされてしまう!
ということです。


不幸の根源(こんげん)には、
葬式仏教や神社信仰、
観光宗教など、
それらの間違った宗教がある!
ということです。




手塚治虫のマンガ「ブッダ」の中で、
ブッダは言った。

「人間の中にこそ・・・
神がいる・・・」

「神というのは、だれの心にも宿っている!」

「神には・・・
だれでもなれるんだ!!!」


神というと、やはり少し大げさで、
取っ付(とっつ)きづらい感じがしますが、
「神」という言葉を、
「幸せ」「幸せをつかむ無限の力」
に置き換(おきか)えると、
わかりやすいと思う。

「人間の中にこそ・・・
幸せをつかむ無限の力がいる・・・」

「幸せをつかむ無限の力は
だれの心にも宿っている!」

「幸せには・・・
だれでもなれるんだ!!!」

そう言い換(か)えると、
わかりやすいと思います。


そして、その通り、

『幸せには、だれでもなれる!!』

その力が、人間の中には、
元々(もともと)、そなわっている。


問題は、その幸せになる力を、
引き出せるか、
出せないかにかかっている!
ということです。


では、その幸せになるための無限の力を、
どうやって引き出すのか・・・?

実は、ここに仏法(ぶっぽう)の命題があり、
その究極のメッセージを伝えたのが
「ブッダ」すなわち「釈尊(しゃくそん)」
だと言うこともできます。

そして、その釈尊の究極のメッセージを、
唯一(ゆいいつ)正しく汲(く)み取り
理解し、広めたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。


その日蓮大聖人が発見し広めた、
釈尊の究極のメッセージとは何か・・・?


実はそれが、
「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」
なんです。

そしてその「南無妙法蓮華経」が、
人間の中に元々そなわっている、
幸せになる無限の力を引き出す、
究極の力であり
法則(ほうそく)だと言えます。

だから南無妙法蓮華経とは、
人間の中に元々そなわってる、
幸せになるための無限の力を引き出す
『秘宝(ひほう)』
だと言えます。

そして、その人間の中に元々そなわってる、
幸せになるための無限の力を引き出す方法が、
『南無妙法蓮華経をとなえる!!』
ということです。

だから、南無妙法蓮華経をとなえていった時、
自分の中から幸せになるための
無限の力を引き出すことができ、
そのことによって、
悩みを解決できたり、
困難(こんなん)を乗り越えることができたり、
夢や希望をかなえていくことが
できたりするわけです。

そしてそれが、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえる
という仏法(ぶっぽう)の信仰です。

また、
仏法の神髄(しんずい)である
『南無妙法蓮華経』を
唯一(ゆいいつ)正しく把握(はあく)し、
その南無妙法蓮華経の仏法を
正しく実践(じっせん)しているのが、
『創価学会』だということもできます。

それゆえに、
創価学会は世界192カ国に広がり、
世界中の人の悩みを解決し、
夢や希望をかなえさせ、
その人たちに幸せと勝利をもたらしている・・・!


そう言えると思います。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

手塚治虫のマンガ「ブッダ」の中で、
ブッダは言った。

「神というのは、だれの心にも宿っているのですな!
だれでも神になれるのですね!」

「神には・・・
だれでもなれるんだ!!!」


それは、人間性の勝利を
意味していると思います。

人間の中にある尊厳(そんげん)の勝利!

人間という生命の勝利!!

その人間の勝利の凱歌(がいか)である叫(さけ)びが、
マンガ・ブッダの言葉だと思う。

そして、その人間の中にある
尊厳の勝利、
人間の中にある生命の勝利は、
人間を開花させる
具体的なエネルギーとなっていく。

すなわち、
人間の中の尊厳の力、
生命の力が、
悩みや問題を解決する力となり
エネルギーとなっていく。

また、人間の中にある尊厳の力、
生命の力は、
夢や希望をかなえる
大きな大きなエネルキーとなっていく。

そして現実に、
悩みや問題を解決でき、
夢や希望をかなえていくことができる。


なぜなら、
幸せになるための無限の力は、

「自分の中にある!!!」

からです。


そして、自分の中にある
幸せの力に目覚(めざ)め、
その力を引き出していったならば、
その人は当然、
幸せになり、
勝利していく。


それが、創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の
仏法(ぶっぽう)の法則であり、
その幸せの法則通りに実践しているから、
創価学会の人たちは
幸せになっていけるわけです。



幸せには、だれでもなれる・・!


幸せになるための無限の力は、
人間の中にある!!


マンガ・ブッダの中で、
ブッダがそのことを発見し、
大地を走り、
大きな大きな歓喜(かんき)を味わったように、
その「幸せになるための無限の力」である
『南無妙法蓮華経』をとなえていった時、
その人の生命は歓喜する!!
その人の生命は高揚(こうよう)する!!

その歓喜は、
生命を開花させる喜びであり、
幸せをつかむ感動であり、
勝利をもたらす
巨大なエネルギーになっていく。

そして、悩みや問題を解決し、
夢や希望を
かなえていけるようになっていく!!!


それが、ブッダ、
すなわち釈尊(しゃくそん)が伝えたかった
『南無妙法蓮華経』であり、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと
いうことです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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共通テーマ:日記・雑感

こころの音200

先日、話しましたが、
漫画界の巨匠(きょしょう)、
手塚治虫氏の作品に、
「ブッダ」というマンガがあります。

その中で、アヒンサーという人物が登場する。

アヒンサーは高貴(こうき)な貴族の身分であったが、
悪い坊主(ぼうず)に、
100人の人を殺すように
催眠術(さいみんじゅつ)をかけられる。

そして毎夜、人を殺し続ける。

最後、100人目に殺そうとした相手が
自分の母で、
その時、我(われ)にかえるが、
すでに遅(おそ)く、
その後、世の中から罪人(ざいにん)として
手配(てはい)される大悪人となっていく。


そしてアヒンサーはすべてを憎み、
ブッダを何度も殺そうとする・・。


しかし、ブッダを殺すことに失敗し、
自分が穴(あな)に落ち、
閉じ込められ、
外に出ることができない。

閉じ込められた穴の空間の空気が
徐々(じょじょ)になくなり、
アヒンサーの死が近づいていく。

アヒンサーは、
死を恐(おそ)れ、苦しむ。

穴の外から声をかけることは可能だったため、
ブッダはアヒンサーに語りかける。

「おまえはいままでに、
何百人も殺したという・・。
だが、一度くらい、
なさけをかけてやったことはないか?」

アヒンサーは答える。

「あ・・・ある。
あかん坊(ぼう)だっ。
ひとり見逃(みのが)してやった!

あんまりかわいかったからからな。
殺さなかったんだ・・・・・」

ブッダは言う。

「もしそうなら、それだけでおまえは、
大きな善(ぜん)をほどこしたのだ。

なぜなら、その子は無事(ぶじ)に育ち、
子孫(しそん)をふやすことができるだろう。」

アヒンサーは反発する。

「それがどうだってんだ・・・!」

ブッダは答える。

「かりにあと百年たって、
その子の子孫が百万人にふえ、
こういうだろう。」

「百年前、ある人間が命を助けてくれた、
そのおかげで、
こんなに栄(さか)えてるんだとね!」

「おまえはあがめられ、
その一族に永久にかたり伝えられる。」

アヒンサーは言う。

「お・・・おれがあがめられ・・・、
じょうだんじゃない!
おれは・・・
何百人も殺した殺人鬼(さんじんき)だぞっ!」

ブッダは言う。

「百人殺すのはよくない。
だがな、
ひとりを生きながらえさせるのは
尊(とうと)い。
百万人になるからな・・・・!」

「おまえはこれから
不思議(ふしぎ)な世界にいく。
そこには宇宙のあらゆる
霊(れい)が集まる。
そこで胸を張(は)って、
こういうがいい。

『おれは赤ん坊を助けたアヒンサーだ!』

とな・・!!」



わかりやすい譬(たと)えだと思う。

確かに「ひとり」を救うことは、
決してひとりには留(とど)まらない。

それは、あらゆるものに影響をもたらし、
環境(かんきょう)や世界、
人々を変えていくことにつながっていく。

確かに、その「ひとり」から
その子孫が何百万人にも
広がることもある。

「ひとり」は「ひとり」であるけれども、
その価値(かち)と可能性は
無限に広がる。

また、すべては
「ひとり」から始まるのであるから、
その「ひとり」をおろそかにしていけば、
未来は開けてこない。


すべては、「ひとり」から始まる。


だから、ひとりを救うこと、
ひとりを幸せにすることには、
計(はか)り知れない、
ものすごい価値がある・・!!


問題は、はたして、
その「ひとり」を
本当に救うことができるのかどうか・・。

その「ひとり」を
本当に幸せにすることが
できるかどうか!だと思う。

その「ひとり」を
本当に幸せにすることができたならば、
大きく言えば、
この世界を、
この環境を、
人類の未来を、
幸せへと
転換(てんかん)することになっていく。

人間における、
人類における、
ありとあらゆる問題も、
この「ひとり」を幸せにすることができたならば、
解決へと向かう。


そう表現しても、いいと思う・・。


そして・・・、
創価学会(そうかがっかい)がやっていることは、
実は、そういうことです・・!!!

ひとりを本当に幸せにしきっていく!
ひとりを根源(こんげん)から変革し、
幸せにする!!

それを現実の上でやってきたのが、
『創価学会』なんです。

だから、創価学会は、
ものすごいことをやってきているんです。

大きく言えば、
人類の幸せ、世界の平和、
それを現実の上で
着実(ちゃくじつ)に、
確実に世界にもたらしてきているのが、
実は『創価学会』だと言えます・・・。


世界の有識者たちは、
そのことがわかっているから、
創価学会に
最大の賞賛(しょうさん)と敬意(けいい)、
期待をたくしているんです。

そして、その「ひとり」を
幸せにしていける、
個々人の宿命(しゅくめい)を
転換(てんかん)していける、
決定的な方法が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


なにも、創価学会の人たちは、
宗教が好きで、
その仏法を
実践(じっせん)しているわけではない・・・。

ひとりひとりの悩みを解決していける、
ひとりひとりの夢や希望をかなえていける、
そして幸せになっていける、
決定的な方法だから、
この創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰をやっているんです。

また、それがそのまま、
世界の平和、
幸せへとつながっていく。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

創価学会インターナショナル会長の
池田先生が、言っています。

「今、世界は、
紛争(ふんそう)やテロ、
貧困(ひんこん)や格差(かくさ)、
自然災害や地球環境問題など、
幾多(いくた)の深い闇(やみ)に
覆(おおわ)われています。

だからこそ、私たちは、
いやまして、
英知(えいち)の炎(ほのお)を、
一人一人の生命に
赤々(あかあか)とともしていきたいと
思うのであります。

どんなに迂遠(うえん)に見えようとも、
これこそが、
人類の前途(ぜんと)を照らし
晴(は)らしていく
最も確実な道だからであります。」


確かに確信をついていると思います・・・!

一人を良くしていく。

一人の生命に希望を灯(とも)していく。

それは小さなことのようだけれども、
すべては、そこから始まる。

もし、一人を良くすることができなかったら、
世の中を良くすることなど、
到底(とうてい)できない。

世の中を、
おおざっぱな塊(かたまり)として見て、
ああだこうだ言ったところで、
何も変わっていかない。

けれど、一人を良くすることができたならば、
それは地域を、
世界を良くすることに
必ずつながっていく。

しかも、「幸せ」ということから考えたならば、
それは、
おのおのの生命の問題であるだけに、
深く、重い意味がある。

その生命における
「幸せ」を実現していくためには、
やはり・・、どうしても・・、
『ひとりの生命』に
たどり着かなければならない。

すなわち、
ひとりの生命を変えることができなかったら、
現実の上で、
「幸せ」も「平和」も
実現はできない。

その「ひとり」を、
ひとりの生命を、
現実に、
根源(こんげん)から変え、
より良くしていける力(ちから)が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

ひとりの人間を、
ひとりの人間の生命を、
本当の意味で変革(へんかく)していける力は、
この創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法しかないと言えます・・。

また、だから創価学会の人たちは、
幸せになっていけるんです・・。



創価学会のやっていることは、
幸せの拡大(かくだい)であり、
平和の拡大です。

それを可能にするために、
またそれを可能にする決定的な方法が、
南無妙法蓮華経をとえなる
仏法(ぶっぽう)の信仰であるがゆえに、
その仏法を実践(じっせん)しているわけです。


もう少し、掘(ほ)り下げて言うと、
この創価学会の仏法は、
単なる理屈(りくつ)ではないということです。

ああだ、こうだ、
理屈で良いことを言うのは、
いくらでもできる。

けれど、いくら、
ひとりを良くする、
ひとりの生命をより良く変革していくといっても、
そこに具体性(ぐたいせい)と
現実性がなかったら、
単なる言葉だけに終わってしまう。

すなわち、
現実に結果がでなかったら、
意味はない。

ひとりひとりに突(つ)きつけられた、
さまざまな悩みを解決できなかったら、
「絵にかいた餅(もち)」
になってしまう。

またひとりひとりの
切実(せつじつ)な夢や希望を
かなえていけなかったら、
なんの意味もない・・。


その悩みの解決、
夢や希望の実現が
現実に可能になるから、
創価学会の人たちは、
この南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法の信仰をやる!ということです。


そこに、創価学会の仏法(ぶっぽう)の
大前提(だいぜんてい)がある!!


現実を変えることができる!
悩みを解決でき、
夢や希望を
現実に実現できる!!!
ということです。


そして、
ひとりひとりの悩みの解決、
夢や希望の実現が、
現実にもたらされたならば、
それは必ず、幸せへとつながり、
家族や地域、
社会と世界を、
幸せに、平和にしていくことに
つながっていきます。

ひとりひとりの幸せと勝利が、
家族の勝利、
地域や社会の勝利、
そして世界の幸せと勝利へと、
連(つら)なっていく。



最初に話したように、
「ひとり」を幸せにすること・・・!
「ひとり」を救っていくことがが、
どれだけ大切か・・!!

手塚治虫のマンガ「ブッダ」の中で、
ブッダが言ったように、

「ひとりは、百万人にもなっていく!」
「ひとりから、無限の希望が広がる!!」


その一人を
根源(こんげん)から救っていける、
本当に幸せにしていける、
決定的で唯一(ゆいいつ)の
方法と言っていいのが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音199

漫画界の巨匠(きょしょう)、
手塚治虫氏の作品に、
「ブッダ」というマンガがあります。

ブッダとは知ってのとおり、
仏教の創始者(そうししゃ)です。

釈迦(しゃか)とも釈尊(しゃくそん)とも呼ばれています。

その「ブッダ」が主人公のマンガなので、
堅苦(かたくる)しいというか、
おもしろくないマンガのように思うかもしれませんが、
それはそれ・・!
さすが手塚治虫で、
いいマンガ、おもしろいマンガが、
みな、そうであるように、
読んでいるうちに、
その世界に引き込まれてしまいます。

やはり魅力(みりょく)は、
巨匠・手塚治虫が創(つく)り出す、
創造的(そうぞうてき)な、
さまざまなキャラクターだと思います。


奴隷(どれい)の身分でありながら、
その身分を隠(かく)し、
将軍の養子(ようし)となり、
のし上がろうとするチャプラ、

そのチャプラも、やがて、
奴隷であることが暴(あば)かれ、
母親と一緒に串刺(くしざ)しにされて、
死んでいく。

自分のこころ(精神)を、
動物に乗り移(うつ)らせて、
動物として行動することのできる、
不思議(ふしぎ)な少年、タッタ。

そのタッタは、
親友であるチャプラと、
親のように自分を育ててくれた、
チャプラの母を殺され、
その王国に対する復讐(ふくしゅう)を誓(ちか)う。

ブッダが国の王子であった時代、
身分をわきまえず、
そのブッダを好きになり、
愛してしまったために、
そのブッダの父であり国王に、
ブッダの結婚の邪魔(じゃま)になると、
両目をつぶされてしまう女性、
ミゲーラ。

契約(けいやく)により、
大蛇(だいじゃ)の魔物の子供となった、
アナンダは、
どんなに刺(さ)されても切られても、
必ず蘇生(そせい)してしまう、
不死身(ふじみ)の身体(からだ)を持つ。

そのアナンダは、
大蛇の魔物(まもの)と共に、
ブッダの命を狙(ねら)う。

しかしアナンダの不死身の能力も、
人を好きになったり愛したりすると、
無くなってしまう・・。
アナンダの運命は・・・。

大悪人、ダイバダッタも登場しますが、
なんとも言えない悪人に仕上(しあ)げています。
けれど、ダイバダッタの、
出生(しゅっせい)から幼少時代の物語を描くことによって、
そのダイバダッタの中にも、
人間性や愛情があることを、
かもしだしています。


読み終わって感じたことは、
この手塚治虫のブッダのマンガの中に出てくる、
数え切れない人々、
理不尽(りふじん)に虐(しいた)げられ、
死んでいった人々。

宿命(しゅくめい)にもがき、
泣きながらも、
精一杯(せいいっぱい)生きようとした人々。

その登場人物たちの生命が、
なぜだか、自分を、
励(はげ)ましてくれているような感覚(かんかく)を、
おぼえました。

ブッダの登場人物たちが、

「ガンバレ!」
「負けるな!」
「あなたの人生は、あなただけのものではない!!」
「ぼくたち、私たちの生命のための
人生でもあるんだ!!」

「だから負けるな!」
「勝つんだ!」
必ず、幸せになるんだ!!」


そう・・、自分を、
励ましてくれているような、
そんな錯覚(さっかく)をおぼえました・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

ブッダの話し、
言い換(か)えれば、
釈迦(しゃか)、釈尊(しゃくそん)の話しは、
創価学会でも、
よく、引用(いんよう)されます。

創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長である、
池田先生が、言っています。

『御書(ごしょ)に、
「教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を
うごかし奉(たてまつ)れば、
ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき
・さわがぬ水やあるべき・・」
と仰(おお)せの通り、
ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、
一切(いっさい)を動かしていく。』

ちなみに、御書(ごしょ)とは、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書かれた、
論文や手紙をすべて集めたものです。

また、ご本尊とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、
あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、
あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることをあらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。


ここで、まず引っかかるのは、
当然(とうぜん)これは、
創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる仏法(ぶっぽう)の信仰のことを
言っていますが、
創価学会の信仰と、
『釈尊(しゃくそん)』は
関係あるのか??ということです。

さきほど話しましたが、
釈尊とは、ブッダとも釈迦(しゃか)とも言われる、
仏教の創始者です。
日本のさまざまな仏教の大元(おおもと)は、
この釈迦(しゃか/釈尊)から来ている
と言えます。

ただし、現代の日本の仏教は、
釈迦(しゃか)の仏法(ぶっぽう)とは、
かけはなれたもので、
単なる形だけです。

釈尊(しゃくそん)の教えのかけらもない!
と言ってもいいでしょう。

だいたい、釈尊は、
『坊主は葬式(そうしき)に出てはいけない!
葬式というものは親しい知人や家族でやるものだ。
そんな暇(ひま)があったら、
今、苦しんでいる人のもとに行ってあげなさい。』
と言っているので、
坊主が葬式でお経(きょう)をあげるのは、
仏教でもなんでもない。
ただの金儲(かねもう)けの
エセ宗教だと言えます。

形だけ真似(まね)て、
お金儲けに利用しているだけですから、
かえって害(がい)になり、
そんな害になるものを人々に信じ込ませていれば、
その人々に害毒(がいどく)が伝わり、
その人たちを不幸にしてしまう!
ということです。

どういうことかというと、
間違(まちが)ったデタラメの宗教に
祈るということは、
その間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生を
ささげることになります。

間違ったデタラメの宗教に
自分の生命と人生をささげていけば、
当然(とうぜん)、
自分の生命と人生は、
間違ったデタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメのものになっていったならば、
その結果として、
さまざまな不幸がもたらされてしまう!
ということです。


不幸の根源(こんげん)には、
形骸化(けいがいか)した仏教にかぎらず、
神社信仰や観光宗教など、
それらの間違った宗教がある!
ということです。


話しを戻(もど)しますが、
釈尊は、仏教の創始者です。
そして、釈尊が、
何を伝えようとしたか?
というと、
それは、
『生命の法則(ほうそく)』であり
宇宙の法則』です。

簡単(かんたん)に言えば、
それは、
『幸せになるための法則』です。


それを、釈尊は、伝えようとしました。


そして、その幸せになるための
究極(きゅうきょく)の法則が
こめられたものが、
釈尊の『法華経(ほけきょう)』です。

だから、釈尊の法華経には、
その生命における、
あるいは宇宙における、
『幸せになるための法則』
が込(こ)められています。

だったら、
その釈尊の法華経(ほけきょう)を
やればいいじゃないか・・!
と思うかもしれませんが、
それも違(ちが)います。

法華経というと、
釈尊の法華経を思い浮(う)かべますが、
法華経というのは、
さっきも言ったように、
幸せになるための法則です。
そして、それは
時代時代によって、
表現の仕方(しかた)が違ってきます。

釈尊の時代であれば、
その、釈尊の法華経をやれば、
幸せになれましたが、
現代では、なれません。
この現代に、
釈尊の法華経を
いくら、やったとしたも、
幸せにはなれないし、
何の効力(こうりょく)もありません。

これは、釈尊自身が
言っていることですが、
釈尊が亡(な)くなってから
2000年以上経(た)った、
この現代という、
思想・人心が乱(みだ)れた時代では、
釈尊の法華経は、
返って害(がい)になり、
人々を不幸にする
原因(げんいん)にしかなりません。

だから、現代の日本のさまざまな仏教は、
良く見積(みつ)もっても、
その釈尊の仏教の域(いき)をでていないし、
はっきり言えば、
釈尊の仏教を適当(てきとう)に変え、
めちゃくちゃにしたような宗教ですから、
なんの効力もなく、
幸せにもなれません。

返って、でたらめなメチャクチャな宗教ですから、
そのメチャクチャの当然の結果として、
害になり、
人々を不幸にしてしまう!
ということです。


では、釈尊が、
本当に伝えようとした
『幸せの法則』とは何なのか?


さきほど、法華経といっても、
時代時代によって、
表現の仕方(しかた)が違うと言いましたが、
今生きている人々を、
現実に幸せにしていける
『現代の法華経(ほけきょう)』とは何なのか??
ということになっていきます。

実は、
その答えが秘(ひ)められているのが、
釈尊の法華経だと言えます。

その釈尊の意図(いと)と
隠(かく)れたメッセージをくみとり、
唯一(ゆいいつ)正しく理解し、
その現代の人々が幸せになっていける
『真実の法華経』を発見し広めたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。

そして、現代の人々が幸せになっていける、
『真実の幸せの法則』
『生命の法則』
『宇宙の法則』が、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんです。

だから、『南無妙法蓮華経』とは、
釈尊が本当に伝えたかったものなんです。

そして、『南無妙法蓮華経』が、
今生きている人々が
真(しん)に幸せになっていける、
『現代の法華経』なんです。

だから、今、現実に効力(こうりょく)のある、
悩みを解決していける、
夢や希望をかなえていける、
力(ちから)ある幸せの法則が
『南無妙法蓮華経』であり、
それが、『現代の法華経』です。

ですから、創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる信仰は、
釈尊が真に伝えたかった法華経であり、
人々を幸せにしていける、
仏法(ぶっぽう)の
究極(きゅうきょく)の真髄(しんずい)なんです。

だから、創価学会と釈尊は、
深く密接(みっせつ)な関係があり、
釈尊が望み、伝え、
実現したかったものが、
創価学会の中にある!!!
ということです。


釈尊が望んだもの、
釈尊が望み実現したかったものが、
まさしく、
創価学会によって実現されている!!
ということです。


だから、

「『教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を
うごかし奉(たてまつ)れば、
ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき
・さわがぬ水やあるべき・・』
と仰(おお)せの通り、
ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、
一切(いっさい)を動かしていく。」

と話したように、
創価学会のご本尊への必死の祈りは、
そのまま『釈尊』に通じていく。
なぜなら、
創価学会が実践している
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
「釈尊の望み」、
「願い」そのものであり、
『南無妙法蓮華経』が
釈尊が伝えたかったことだからです。

ゆえに、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、
釈尊のいう宇宙の法則、
生命の法則、幸せの法則を
実行することになり、
それはいわば、
釈尊自身をうごかすような
大きな結果を生み、
その結果、
悩みを解決できたり、
夢や希望をかなえていけたり、
さまざまな困難(こんなん)も乗り越(こ)えて、
幸せになっていけるわけです。


それが、創価学会の祈りなんです。


ゆえに、池田先生が言うように、

『教主釈尊を動かすことができれば、
ゆるがぬ草木はない!
さわがぬ水はない!』

そして、祈りをかなえ、
幸せになっていける!!


それが、
釈尊が本当に伝えたかった
宇宙と生命の幸せの法則であり、
究極の力(ちから)である、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと
いうことです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音198

1973年にノーベル平和賞を受賞し、
アメリカの国家安全保障担当補佐官や
国務長官を務めた、
ヘンリー・A・キッシンジャー博士は、
創価学会インターナショナル会長である
池田先生と、
8度にわたり、
対談している。

池田先生は、
キッシンジャー博士に質問している。

「人物評価(ひょうか)について、
どのような基準(きじゅん)を
お持ちでしょうか。」

アメリカの国務長官を務(つと)め、
世界各国のリーダーと
丁々発止(ちょうちょうはっし)の交渉(こうしょう)を
繰(く)り広げてきた、
世界を動かす立役者(たてやくしゃ)である。

答えは明快(めいかい)だった。

「私の変わらざる信念は、
交渉の相手を理解することが
きわめて重要(じゅうよう)だということです。

相手の知性ではなく
人格(じんかく)です。

知性の程度(ていど)を確かめることは
ごく簡単(かんたん)です。
しかし人生における
困難(こんなん)な問題はすべて、
賛否両論(さんぴりょうろん)が
知的レベルで真(ま)っ二つに
分かれた場合に起きるのです。

ですから、
いくつかの可能性の中から
一つを選択(せんたく)する場合に
『人格』がカギとなるのです。」


池田SGI(創価学会インターナショナル)会長と
キッシンジャー博士との出会いは、
小雪が舞(ま)うアメリカの
首都ワシントンだった。

国務長官の博士が、
国務省の執務室(しつむしつ)で
池田SGI会長を待っていた。

1975年1月13日である。

池田SGI会長が、73年1月に、
ベトナム戦争終結(しゅうけつ)を呼びかける
ニクソン大統領宛(だいとうりょうあて)の書簡(しょかん)を、
当時、大統領補佐官だった
キッシンジャー博士に託(たく)して以来、
博士と池田会長との
手紙のやりとりが続いていた。

訪米の際には立ち寄(よ)ってほしいとの、
博士からの歓迎の意が示されたことを
受けての訪問となったのである。

あいさつ、会談風景の撮影(さつえい)が終わると、
通訳(つうやく)一人だけを介(かい)して、
二人は向き合った。

キッシンジャー博士は、たずねた。

「率直(そっちょく)にお伺(うかが)いしますが、
あなたたちは、
世界のどこの勢力(せいりょく)を
支持(しじ)しようとお考えですか。」


博士が直球を投げてきた。


まさに、知識ではなく人格(じんかく)、
すなわち、どんな思想、
信念(しんねん)で動いているかを
見きわめようとする、
短いが鋭(するど)い問いである。

もちろん、池田SGI会長が、
前年にソ連、中国を相次(あいつ)いで訪問し、
コスイギン首相、周恩来(しゅうおんらい)総理らと
会った事実が前提(ぜんてい)にある。

即座(そくざ)にSGI会長が答えた。

「私たちは、
東西両陣営(りょうじんえい)のいずれかに
くみするものではありません。
中国に味方(みかた)するわけでも、
ソ連に味方するわけでも、
アメリカに味方するわけでもありません。

私たちは、平和勢力(せいりょく)です。

人類に味方します。」


キッシンジャー博士の顔に
微笑(びしょう)が浮(う)かんだ。


会見を終える時、
キッシンジャー博士は言った。

「また、友人としてお会いしたい。
これからも連携(れんけい)を取り合いましょう。」


「中国に味方(みかた)するわけでも、
ソ連に味方するわけでも、
アメリカに味方するわけでもない。

私たちは、平和勢力(せいりょく)です。

人類に味方します。」


人は、このことを、わかろうとしない。

なにか裏があるのではないか・・?
と邪(よこしま)なことを考えてしまう。

そして、創価学会に対して、
どうしようもないような
下劣(げれつ)なデマを流したりしてきた。

けれど、もしそれらの
下劣(げれつ)なデマが正しければ、
創価学会(そうかがっかい)は、
これほど世界に発展することはなかったでしょう。

また、創価学会の人たちが
喜々(きき)として、
創価学会の活動に取り組むこともないだろうし、
創価学会の信心を
真面目に実践(じっせん)することも
なかったでしょう。

それに、創価学会の信心と活動を
実践することによって、
創価学会の人たちが、
悩みを解決したり、
夢や希望を実現したりして、
幸せになっていくこともなかったでしょう。

ところが実際は、
創価学会の人たちは、
その創価学会の信心と活動によって
悩みを解決し、
夢や希望を実現して、
大いなる幸せをつかんでいる。

それは、創価学会が
正しい証拠(しょうこ)であり、
世間のデマが間違(まちが)いであることの
証明になります。

そう考えていった時、
なにか裏があるのではないか・・?と、
創価学会に対して、
邪(よこしま)なデマを流している連中のほうが、
よっぽど、何か裏があり、
「邪(よこしま)」なことを企(たくら)んでいる
と考えるのが、
妥当(だとう)なはずです。


キッシンジャー博士の話しに戻ると、
博士は、米中接近(せっきん)、
米ソの緊張緩和(きんちょうかんわ)、
ベトナム戦争からの撤退(てったい)、
中東和平交渉(わへいこうしょう)など、
まさに、『歴史を書き換(か)えた』
その実績は、
枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。

博士は、池田SGI会長に語った。

「どんな偉大(いだい)な事業も、
はじめは、すべて「夢」にすぎなかったのです。
だから必要なのは勇気です。
前人未到(ぜんじんみとう)の道をひとりゆくには、
勇気が必要なのです。」

それを地(じ)でいったのが、
71年7月、
極秘裏(ごくひり)に訪中して、
中国の周総理と会見し、
ニクソン大統領の訪中、
米中国交正常化に道筋(みちすじ)を
付けたことである。


国務長官を退(しりぞ)いた後も、
博士は、
米外交に影響力(えいきょうりょく)を持つ
重鎮(じゅうちん)として、
注目を集め続ける。

2007年に発表した、
核兵器廃絶(かくへいきはいぜつ)を求める
共同提言(ていげん)は、
核抑止(よくし)戦略の当事者だった
人物の発言として
重大な意義(いぎ)をもつ。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

博士と池田SGI会長との8度目の会見は、
96年6月17日。

同月、SGI会長がキューバ
カストロ国家評議会長と会う予定を知ると、
ニューヨークの宿舎(しゅくしゃ)に
滞在中(たいざいちゅう)の池田会長を、
博士が訪(たず)ねてきた。
同年2月、キューバが
米民間機を撃墜(げきつい)し、
両国関係は悪化していた。

博士は関係の改善(かいぜん)を願い、
池田SGI会長のキューバ訪問に
強い期待を寄(よ)せていた。

そしてSGI会長は、
カストロ議長と会見した際、
キッシンジャー博士の真情(しんじょう)を
伝えたのである。


博士とSGI会長との初会見から40年。
創価学会は、世界192カ国に広がり、
博士と語り合った世界平和の道は、
大きく広がったと言える。

2015年には、米国とキューバの
国交正常化も実現した。


聞いた話しですが、
キッシンジャー博士は、
池田SGI会長と会見した後、
池田会長を評(ひょう)して、
こう、言ったそうです・・。


「グレイト・パーソナル(偉大なる個性・人格)」

・・と。


人格を最も重要視(じゅうようし)する
博士の言葉だけに、
重みがある・・。


「グレイト・パーソナル・・!!」


キッシンジャー博士の
池田SGI会長に対する期待と
その対応を見るとき、
その言葉はまさに真実であり
本当なんだ!と、
心から思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音197

二十世紀の天才ヴァイオリニストである
ユーディー・メニューイン氏は、
いつもマッサージを頼(たの)む、
知人の女性がいた。

ある時、メニューイン氏は、
そのマッサージを頼む女性に言った。

「あなたのマッサージは素晴らしい。
まるで指が話しかけているようだ。」

そして、マッサージの秘訣(ひけつ)を
尋(たず)ねると、
女性は答えた。

「私は仏教徒(ぶっきょうと)なんです。
マッサージをする時は、
心で、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
と唱(とな)えるんです。」

仏教徒というのは、
創価学会員(そうかがっかいいん)のことで、
イギリスの婦人部員だった。


「ナンミョウホウレンゲキョウ・・・・・、
素晴らしい音律(おんりつ)だ。」


以来(いらい)、
メニューイン氏は、
南無妙法蓮華経を口ずさむようになり、
池田SGI会長(創価学会インターナショナル会長)の
著作(ちょさく)を読破(どくは)していった。

そして、思った。

池田SGI会長に会いたい!!

そして、数年後、
メニューイン氏は、
池田SGI会長と会見することになる。


会見の中で、
メニューイン氏は、言っています。

『「南無妙法蓮華経」の「NAM」という音に、
強い印象(いんしょう)を受けます。

「M」とは命の源(みなもと)というか、
マザー (MOTHER)」の音、
子どもが一番最初に覚(おぼ)える
「マー(お母さん)、マー」
という音に通じます。

この「M」の音が
重要な位置を占(し)めている。』

この言葉に対し、
池田先生は、言っている。

『日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、
「南無妙法蓮華経」を
「歓喜(かんき)の中の大歓喜」
「歓(よろこ)びの曲」である、
ともされました。

妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)
の音律(おんりつ)は、
太陽が昇(のぽ)るような
躍動(やくどう)の音律です。

「永遠の創造(そうぞう)」であり
「永遠の出発」であり、
「永遠の戦い」である
宇宙の大生命力が、
こもっているのです。』


メニューイン氏が、
マッサージを頼(たの)む
知人の女性に感じたように、
『南無妙法蓮華経をとなえる』ことによって
もたらされるエネルギーは、
人に伝わる・・・!!

その『南無妙法蓮華経をとなえる』
エネルギーは、
真心(まごころ)となって伝わったり、
感動となって伝わったり、
また、具体的(ぐたいてき)に
病気などを蘇生(そせい)される
エネルギーとなって、
伝わることもある。

ある創価学会員の看護士の方が、
南無妙法蓮華経をとなえる祈りについて、

「手から、毛穴から、
祈りは、すべて、通じていく!」

と言っていた。

『南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、通じる!』

単(たん)なる一時しのぎでも、
でまかせでもなく、
自分ひとりの問題でもなく、
南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、
人々に通じていく!!


ここに、
『南無妙法蓮華経をとなえる』
スゴサがあるのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

また、
『南無妙法蓮華経をとなえる』ことによって
もたらされるエネルギーは、
人に伝わるだけではなく、
人に幸せをもたらしていく。

南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、
幸せのエネルギーとなって、
人へ、未来へ、
世界へと、伝わっていく。

そしてその幸せのエネルギーは、
地域や社会、
職場や家庭に伝わり、
その環境(かんきょう)をより良く、
幸せに変えてくことなる。

だから、
創価学会の人たちがとなえている、
『南無妙法蓮華経』は、
世界を、
幸せに変えている!!
と言っても、
言い過(す)ぎではない・・・!


また、当然(とうぜん)、
南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、
自分自身に伝わっていく。

南無妙法蓮華経の幸せのエネルギーは、
自分自身に伝わり、
しみ入り、
自分自身を幸せに変えていく。

そしてその幸せのエネルギーは、
自分の悩みを解決したり、
夢や希望をかなえる力となっていく。

あらゆるものを、
あらゆる人を、
あらゆる環境を、
より良く、
幸せにしていくエネルギーが、
『南無妙法蓮華経』
だということです。

ゆえに、これほどスゴイことはなく、
これほどの解決策(かいけつさく)もない。


結論(けつろん)から言うと、
南無妙法蓮華経をとなえきった人が、
幸せになるとも言えます。



メニューイン氏が思ったように、
南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、
人に伝わる。

伝わるだけではなく、
その人たちを幸せにしていく。

また、家族や職場、
地域や世界に伝わり、
その世界に幸せを満(み)たしていく。


その無限(むげん)に伝わる、
究極(きゅうきょく)の幸せのエネルギーが
『南無妙法蓮華経』であり、
その幸せを確実にもたらすのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音196

人気のあるマンガ、
あるいはアニメに、
「進撃(しんげき)の巨人」
というのがあります。

その「進撃の巨人」の中で、
「女型(めがた)の巨人」というのが
出てきます。

女型の巨人は、
強力な敵(てき)で、
最終的に、この女型の巨人と
主人公であるエレンは、
戦うことになるのだけれど、
その女型の巨人の正体が、
軍の訓練兵として、
3年間、同じ釜の飯(かまのめし)を
食べた仲間である、
アニであることを知って、
エレンは戦うことができない。

エレンの巨人化の能力を
使うためには、
確固(かっこ)たる目的が必要で、
目的がはっきりしないと、
エレンは巨人化の能力を
使うことができない。

敵であるアニが、
訓練兵時代の仲間であったために、
それがブレーキとなって、
どうしても巨人化することができない。

最終的には、他の仲間の
叱咤激励(しったげきれい)によって、
エレンは巨人化して、
アニと戦うが、
エレンが躊躇(ちゅうちょ)し
巨人化できなかったのも、
ごもっともだとも思う。


何かの明確な目的がないと、
どんなにスゴイ力(ちから)も
使うことができない・・・。

明確な目的を持って、
本当にそうしようと思わないかぎり、
その力を使うことができない。


確かにそれは、うなずける。


目的もなく、本当にも、
そう、思っていなかったら、
その力が出てくるとは
思われないからです。

また、自分が、
目的のもと、
本当にそうしようと思うから、
その力を発揮していくことができる。


これは、アニメやマンガの
中だけの話しではなくて、
現実の中でも、
そうだと思う。


人は、何かの目的を持って、
ほんとうにそうしようと思わなかったら、
その力を発揮(はっき)することができない。

目的に目覚(めざ)め、
ほんとにそうしようと思うから、
そのように行動し、
それを成し遂(と)げていく。

はっきりとした目的意識をもって、
ほんとうにやろうと思う時、
そのための、
さまざまな知恵や能力を発揮し、
自分が実現したいことを
成(な)し遂げていく。


それが、人間というものだと思う。


けれど、
それが難(むずか)しいのも、
現実だと思う。

だから、幸せになりたいのに、
なかなかなれないことも、
多々(たた)あると思う。

また、
不幸に沈(しず)んでいってしまう人々も、
多くいる・・。

やはり、幸せになっていくためには、
明確な目的意識と、
それを開花させていくための
『方途(ほうと)』が、
必要になってくると思う。

その明確な目的意識と、
それを実現していくための
方法と行動が噛(か)み合っ時、
人は幸せになっていけるのではないか・・!
と思う。


実は、その、
幸せに対する明確な目的意識と、
それを実現していく究極(きゅうきょく)の方法が、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

創価学会が実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰は、
自分の中に、
幸せに対する最高の目的意識を
もたせてくれる。

目的意識を持つというよりも、
南無妙法蓮華経をとなえていると、
自分の中から、
幸せになろうとする、
「最高の意識(いしき)」が、
自然に湧(わ)き上がってくる。

やがて自分の中から
湧き上がってきた
「幸せに対する最高の意識」は、
さまざまな知恵や勇気、
行動となって、
その人を動かし、
結果として、
その人を幸せにしていってしまう。


南無妙法蓮華経をとなえることは、
自分の中から、
幸せに対する最高の意識を
目覚(めざ)めさせ、
幸せに対する最高の目的、
また、幸せに対する最高の生命力、
最高の勇気や知恵をもたらし、
それは、自分の中から、
さまざまな力(ちから)、
能力や可能性を
発揮(はっき)することになっていき、
そうなった時、
おのずから、
その人は、
幸せになっていくことができる。


それが、
創価学会が実践している、
『南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰』
だということです。

また、南無妙法蓮華経を
となえることの可能性と力(ちから)は、
無限大なので、
南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、
自分だけでなく、まわりの人々、
環境や世界からも、
幸せをもたらす、
さまざまな可能性を引き出し
それは、結局(けっきょく)、
自分のいる世界、
環境を幸せに変えていくことになる。


ゆえに、勝利していける。
幸せになっていける。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

進撃の巨人の中の
エレンのように、
人は人生において、
戦うか戦わないかの、
瀬戸際(せとぎわ)に立たされる時が、
ある・・・!!

その時に、勝つか負けるかは、
その人の中にある、
『目的意識』にかかっている。

その『目的意識』が、
真(しん)に正しく、
強靱(きょうじん)なものであるならば、
その人は、どんな瀬戸際(せとぎわ)に
立たされたも、
戦うことができる。

そして、勝つこてができるだろう。

その最も正しく、
最も強靱(きょうじん)な
目的意識を持つことができるのが、
この創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、言えます。

幸せと平和に対する、
これ以上素晴らしく、
これ以上強靱な目的意識は、
ありません!!

また、幸せと平和に対する、
これ以上の希望であり、
エネルギーもありません。

幸せと平和に対する、
無限(むげん)の力(ちから)となるもの!

それが、
創価学会の、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。


だから、創価学会の人たちは、
幸せになっていけるんです・・!

また、創価学会の信仰と、
他の信仰との違(ちが)いは、
ここにあります!!!

どんな苦難(くなん)の中でも、
どんな絶対絶命(ぜったいぜつめい)
の時であろうとも、
平和と幸福に対する、
最高の目的意識をもって、
立ち上がることができる。

エレンが立ち上がったように・・!

そして、勝利していける!!!


・・・
重要なことは、
創価学会が実践している、
『南無妙法蓮華経をとなえる』
という仏法の実践が、
自分の中から、
幸せに対する最高の目的意識を、
『現実に、湧(わ)き上がらせる!!』
ということです。

そして、それにともない、
幸せをもたらすための
最高の生命力、
最高の勇気、
最高の知恵が、
実際に湧(わ)き上がってくる!
ということです。


それは結局、
自分の中から、
さまざまな可能性を
発揮していくことにつながり、
やがて、悩みの解決や、
夢や希望の実現など、
さまざまなことを可能にし、
その人に
勝利と幸せをもたらしてくれる。


あたかもそれは、
「進撃の巨人」の中で、
エレンが、明確な目的を持った時、
巨人化という、とてつもない力を
発揮できたように、
大きな大きな可能性と力を、
発揮してくれる・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音195

以前、ネコの視点(してん)から、
人間の世の中のことを語った歌詞(かし)の、
歌を聴(き)いたことがあります。

定(さだ)かでありませんが、
その歌によると、

人間界は大変だ・・・。

出世とか、ノルマとか、
人付き合いや、ひいては権力争い。

人間界は大変だ・・・。

化粧(けしょう)とか、エステとか、
上司や彼氏、
結婚とか、離婚とか。

人間界は大変だ・・・。

出会いとか、別れとか、
からまって、解(と)けない人間模様(もよう)。



確かに・・・、ネコから見れば、
人間の世界は大変かもしれない。

というか、人間から見ても、
人間の世界は大変です。

さまざまな思惑(おもわく)が、
ぶつかり合い、
複雑(ふくざつ)極(きわ)まりない
状況をつくっている。

自分がピンチに陥(おちい)ることもある。
罠(わな)にはめられたように、
苦境(くきょう)におちいることもある。


創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が、言っています。

『時には、

「どうして自分ばかりが・・・・・」

とグチをこぼしたくなることも
あるかもしれない。

しかし、煩(わずら)わしい試練(しれん)と、
祈り戦うからこそ、
仏(ほとけ)の力が出せる。
泥(どろ)が深ければ深いほど、
やがて美事(みごと)な幸福勝利の
大輪(だいりん)を咲(さ)かせていけるのが、
『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』
の妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)
である。』


『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』
というのが難(むずか)しいですが、
蓮(はす)の花が、
泥沼(どろぬま)の水の上に、
美しい花を咲かせるように、
苦悩・渦巻(うずま)く、
どんな泥沼のような
環境(かんきょう)や人生からも、
美しい、勝利と幸せの花を
咲かせることができる!
との譬(たと)えだと思います。



人の人生は、さまざまだ。

けれど確かに、
美しく澄(す)んだ水の上に、
優雅(ゆうが)に
浮(う)かんでいられるような人など、
ほとんどいないと思う。

また、表面的には、
優雅に見えたとしても、
内面的には、
どろどろの苦悩(くのう)と
戦っているような場合も多いと思う。

どっちにしろ、
そんじょそこらのことでは、
にっちもさっちもいかないのが、
人生だと思う。


皆、現実と人生の、
さまざまな苦難や苦悩、
現実と理想(りそう)のギャップに悩み、
その中で戦っていると思う。

そして、その中で、
泥沼に咲く蓮の花(はすのはな)のように、
花を咲かせ、
光り輝(かがや)いていかなければならない。


それが多くの人の人生だと、
言えると思います。


池田先生が言うように、
『どうして、自分ばかりが・・・』
と思いたくなるようなこともあるかもしれない。
グチをこぼしたくなることも
あるかもしれない。

けれど、それでは、花は咲かせていけない。

その泥沼の上に、
美しい花を咲かせなければならない。


実は、そのための、
絶対の力(ちから)、
無限の力、
どんな苦難も幸せに変えていける力が、
創価学会(そうかがっかい)の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


泥(どろ)が深ければ深いほど、
美しい花を咲かせていける。

それが、究極(きゅうきょく)の幸せの力、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんだと思う。


世の中が悪い。
環境(かんきょう)が悪い。
あの人が悪い・・。

確かにそうなのかもしれないけれど、
そう思っても、
どうにもなっていかない・・。

その世の中、
その厳(きび)しい環境の中でも、
幸せになっていかなければならない。

勝っていかなければならない。

まさに、泥沼(どろぬま)のような
環境や状況(じょうきょう)であっても、
それでも、
花を咲かせなければならない。

それは確かに、
至難の技(しなんのわざ)であり、
どうにも手がつけられない
難問でもあると思う。


いったい、どうしたらいいのか?


理屈(りくつ)で、ああだ、こうだ
言うことはできる。
けれど、
はたして、
それができるのか?

蜘蛛(くも)の網(あみ)のように
絡(から)まった
人間模様(にんげんもよう)や
さまざまな状況・・・。

それを、プラスの方向、
幸せの方向、
勝利の方向にもっていくことが、
どれだけ困難であり、
奇跡(きせき)といっていいくらい
難(むずか)しいことであることは
わかっている。

あらゆるものが、
微妙(びみょう)に絡(から)み合い、
複雑極(ふくざつきわ)まりない
状況を作っている。

その中で、
「あみだくじ」のように道をたどり、
幸せをつかんでいかなければならない・・・。


確かに、困難な道だといえる。


けれど、その困難な道を
実現できる方法がある・・・!

蜘蛛(くも)のからまった糸のような
複雑な人間関係と状況、
環境、人生・・。

その、蜘蛛の糸のように
複雑な編み目(あみめ)の中でも、
そこを完璧(かんぺき)にくぐり抜け、
誤(あやま)りなく、
勝利と幸せをつかんでいける秘宝(ひほう)・・!

その秘宝が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと言えます。


この創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法が、
どけだけスゴイか・・・!

あらゆるものを幸せに結(むす)びつけ、
あらゆるものを、
あらゆる人々を幸せに向かわせ、
たどり着かせる。
確かに、普通、考えたら、
不可思議(ふかしぎ)としか思えない
幸せの奇跡(きせき)を、
もたらしていけるのが、
この南無妙法蓮華経の仏法です。

にっちもさっちもいかないような人間関係、
またその環境や状況、
それを完璧に調和(ちょうわ)させ
幸せに導(みちび)いていってしまう力(ちから)が、
創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法にはある・・!

それは不思議(ふしぎ)だけれど、
なんというか・・、
宇宙の力、生命の力、
宇宙の本源的な法則(ほうそく)に
導(みちび)かれているとしか
表現できないけれども、
そういう、
とてもできない芸当(げいとう)を
やってのけてしまう力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰には、
ある!ということです。


ゆえに、蓮(はす)が、
泥沼の中から
美しい花を咲かせるように、
人生を勝利していける。
幸せになっていける。


もろもろの悩みも
困難(こんなん)も、
さまざまな人間関係や状況も、
すべて乗り越え、
勝利していける。


そういう生き方が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

ネコではないけれど、
確かに、人間の世界は大変だ。

そして池田先生が言うように、
『どうして、自分ばかりが・・・』
と思いたくなるようなことも
あるかもしれない。


では、どうしたらいいのか?


結論(けつろん)から言うと、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰は、
あらゆるものを、
あらゆる事象(じしょう)を、
あらゆる人々を、
幸せへと引(ひ)っぱり導(みちび)いてくれる。

それは、自分だけではなく、
家族や自分のかかわる
人々にまで影響(えいきょう)を及(およ)ぼし、
その人たちに
最善(さいぜん)の幸せを、
もたらしてくれる。

時には、悲しいこと、
辛(つら)いこともあるかもしれない。
けれど、時とともに、
自分が、家族が、
最善の方向に進み、
最良(さいりょう)の幸せを
もたらしていたことが、
わかってくる。


それが、実感(じっかん)として言えます。



これほどの力(ちから)があるだろうか・・・?


現実に、これほどの
幸せをもたらす力は、
あるだろうか?


はっきり言って、他にはない・・!!


この、創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)でしか、
この現実の中で、
確実に、
幸せと歓喜(かんき)を
もたらす方法は、ない!!!

それは、
あらゆるものが積(つ)み重なり、
関係し合い、
ひとつひとつの事象(じしょう)からは
わからないかもしれないけれど、
それが重(かさ)なり合い、
素晴らしい錬金術(れんきんじゅつ)のように、
すべてが、微妙(びみょう)に、
しかも完璧(かんぺき)に結(むす)びつき、
結果として、
最高の幸せをもたらしている。

それは、
目には見えない奇跡と言えるかもしれない。

あたかも、蜘蛛の糸のような
複雑な編み目(あみめ)を、
誤(あやま)りなく、みごとに、
完璧(かんぺき)にくぐり抜けていくように、

よくもこんな素晴らしいものが!!
と思うような、
錬金術(れんきんじゅつ)のように、

その人に、
勝利と幸せをもたらしてくれる。

そういう目には見えない
幸せの芸術(げいじゅつ)を
もたらしていく力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰にはある!
ということです。

そして、その幸せの芸術が、
どれだけ多くの人を、
幸せにしてきたか!!
どれだけ多くの人の
悩みを解決(かいけつ)し、
夢や希望をかなえてきたか!!。

それこそ計り知れない。


その積み重ねが創価学会であり、
世界192カ国に広がる
創価学会の、
平和と幸福のスクラムなんだと、
思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音194



人は花に学ばなければ・・・。


花はいつも

一生懸命(いっしょうけんめい)だからだ。

投げやりに咲いている花はない。

いやいや生きている花はない。

途中(とちゅう)で、へこたれる花はない。

笑うことを忘れた花はない。

過去にとらわれたり、

人のあらを探(さが)したりしている

花はない。



これは、
創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が書かれた
詩の中にある一節(いっせつ)ですが、
確かに、そうだと思う。

花は、だから、
きれいなのかもしれない。

なにものでもない、
自分自身を咲(さ)かせることに、
なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく
全力で立ち向かっていく。

その健気(けなげ)な姿に人は、
打たれるのかもしれない。

創価学会(そうかがっかい)二代会長の
戸田城聖先生が、
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)は、

『自分自身に生ききることだ!』

と言っていた。


あの人がこう、
この人がどうではない。

自分が自分自身に
生ききるかどうか・・・。

簡単なことのようで、
これがなかなかできないのも、
現実だと思う。

そして、ああだ、こうだと
文句(もんく)を言う。
愚痴(ぐち)を言う。
そして、世の中を恨(うら)んでしまう・・。


何かかが間違(まちが)っているんだと思う。
幸せというものの本質(ほんしつ)が
見えなくなっているのかもしれない。

何かが狂(くる)っている。
人間の生命に
なにかの間違った
思想や考えがこびりつき、
花のように、
健気(けなげ)に生きられなくしている。

仏法(ぶっぽう)では、
これを、
『宿業(しゅくごう)』
という。

『宿業(しゅくごう)』とは、
自分の生命に、
深く宿(やど)ってしまっている、
その人を苦しめている
根本原因(こんぽんげんいん)のようなもので、
避(さ)けたくても避けることのできない
苦しみや悲しみ、
自分はどうして、
こういう自分に生まれてしまったのか?
というような、
辛(つら)い境遇(きょうぐう)や環境、
なんで自分がと思うような
過酷(かこく)な病気や事故など、
その人がもって生まれた、
どうしようもないような運命などを
いいます。

その『宿業(しゅくごう)』が、
人を苦しめ、狂わせ、
花のように真っ直(まっす)ぐに生きることを、
妨(さまた)げている。

そして、
その人を不幸にしている。


不幸の根源(こんげん)には、
『宿業』がある!
と言えるかもしれない。


そして、その『宿業(しゅくごう)』が
どこから起こってくるかと言えば、
それは、
間違った思想(しそう)、
間違った宗教から起こってくる。

人は、自分の悩みや不幸について、
その原因(げんいん)に
たどり着くことはないけれど、
人間の不幸は、
間違った宗教によって、起こる!!
と言えます。

自分は、宗教なんかには、
かかわっていないと、
言うかもしれない。

けれど、
自分の先祖(せんぞ)をたどっていけば、
なにかしらの宗教をやっているし、
世の中は、
間違ったデタラメの宗教だらけなので、
日々、その、
間違った宗教に触(ふ)れている
と、言えます。


正月といえば、
初詣(はつもうで)だといって、
さまざまな神社やお寺に行くし、
観光(かんこう)でも
さまざまな神社、仏閣(ぶっかく)に
祈りをささげる。

また、葬式(そうしき)となれば、
ほとんど、それらの
葬式仏教などに
祈りをささげる。

そして、それらの
葬式仏教にしても、
神社信仰にしても、
観光宗教にしても、
デタラメな間違った、
人を不幸にしてしまう宗教です。

それらに、良いことだと思って、
祈りをささげる。


それらの、葬式仏教や神社信仰、
観光宗教に祈りをささげるということは、
デタラメなもの、間違ったものに、
祈りをささげることになり、
自分の生命に、
間違ったもの、デタラメなものが
投影(とうえい)され、
間違ったもの、デタラメなものが、
自分の生命に
植(う)え付けられることになっていく。

間違った宗教、デタラメな宗教が、
自分の生命に植え付けられたならば、
当然(とうぜん)、
自分の生命には、
間違ったもの、デタラメなものが、
宿(やど)っていく・・。

自分の生命に、
間違ったもの、デタラメなものが、
宿ったならば、
それが、悪(あ)しき、
不幸なる宿業(しゅくごう)となり、
その宿業が、
時とともに噴出(ふんしゅつ)して、
その人を苦しめることになる。


また、
過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に、
間違った、人を不幸にする宗教に
かかわってしまったために、
さまざまな不幸なる
宿命(しゅくめい)を持って、
生まれてきたとも
言えます。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・


人間は、
花のように、生きるべきだと、
思います。

けれど、それをできなくしているのが、
『宿業』だと言えます。

そして、その宿業を打ち破(やぶ)る、
決定的で唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえることは、
自分の中から、
花のように生きる力を
復活(ふっかつ)させる。

花のように生きようとする
生命力が復活し、
その人を、
真っ直(まっす)ぐに生きさせる。

太陽が昇(のぼ)れば、
草木についた、
つゆや水滴(すいてき)は、
あっという間に消えてしまうように、
南無妙法蓮華経をとなえることによって、
花のように真っ直ぐに生きることを
妨(さまた)げる宿業が、
打ち破られ、
幸せに向かって、
希望にむかって、
生きていけるようになっていく。


南無妙法蓮華経には、
宿業を打ち破る
大きな大きな力(ちから)がある!
ということです。


南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、
仏法(ぶっぽう)の実践活動である、
創価学会の活動をやっていくことによって、
自身の宿命が転換(てんかん)され、
悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)え、
夢や希望をかなえて、
幸せを勝ち取っていくことが、
できるようになっていく。


それは、美しい花のように・・・。



『南無妙法蓮華経は
蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』

というけれど、
南無妙法蓮華経をとなえると、
自分の生命が
蘇生(そせい)していく。

真剣に南無妙法蓮華経を
となえることによって、
自分の中から
生命力が湧(わ)き上がり、
勇気が出てきて、
元気と希望がでできて、
その人の生命は、
文字通り、
蘇生(そせい)していく。

その生命の力は、
自分の人生と未来を、
花のように
真っ直ぐに生きていくエネルギーとなって、
その人を動かす。


やがて、
種(たね)から花が咲くように、
その人の人生に、
勝利と幸せの花が
咲いていく。



人は、花のように、生きるべきだ・・!



そして、それを可能にする、
希望と勇気と
どんな困難(こんなん)も打ち破る
無限(むげん)の力が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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こころの音193

創価学会員は
世界中にいますから、
どこでも、皆、
喜々(きき)として
がんばっています。

以前、聖教(せいきょう)新聞で、
ハリウッドで
がんばっている、
創価学会員の紹介をしていました。
(ハリウッドでがんばっているとは、
映画俳優ということではなく、
ハリウッドの地域に住んでいる
ということです。)


ウエスト・ハリウッド支部で
副支部長を務める、
グレゴリー・リンゴさんが語っています。

「支部の多くのメンバーが、
エンターテイメント産業で働いてます。
7割(わり)以上は
そうじゃないでしょうか。

生活リズムがバラバラで、
皆、苦労しています。
でも、みんな、
忙(いそが)しい中で、
学会活動(創価学会の活動)にも
頑張っていますよ。」

リンゴさんは、
レコーディングアーティストであり、
ジャズピアニスト。

彼が入会したのは
結婚する前。
妻の紹介だった。

「ある日、一緒に出かけようと
彼女の家に迎(むか)えに行ったら、

『夜の勤行(ごんぎょう)をしていない』

って言うんです。

※ちなみに、勤行とは、
釈尊(しゃくそん/しゃか/ブッダ)の
法華経(ほけきょう)の一部分を
音読(おんどく)します。
だいたい、3分から5分くらいかかりますが、
そのあと、好きなだけ、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
繰り返(くりかえ)し繰り返し、
となえます。
それを、まとめて、
『勤行(ごんぎょう)』といいます。

それで、リンゴさんは、
ソファに座(すわ)って
待つことにしたそうです。

彼女の南無妙法蓮華経をとなえる
声を聞いていたら、
なぜだかすごく感動して、

『僕も一緒(いっしょ)に、となえていい?』

と尋(たず)ねたそうです。

「今、思えば、
彼女は勇気を奮(ふる)い起こして、
私に信心(創価学会の信心)のことを
教えようとしてくれたんですね。
人生で一番忘れられない
『デート』の日に
なりました。」

と、リンゴさん・・。

リンゴさんは、その後、
大病(たいびょう)を患(わずら)い、
仕事を失(うしな)った時期もありましたが、
創価学会の信心のおかげで、
「どうして、こんなことに」
と受(う)け身に考えていた自分から、
『今こそ宿命(しゅくめい)を変える時だ!』
と思える自分に
変わることができたそうです。

「それが一番の功徳(くどく)です。」

と語っています。

※ちなみに、功徳(くどく)とは、
悩みが解決したり
希望がかなったりする
現実に現れる幸運のことを、
いいます。

そして、リンゴさんは、
創価学会の同志(どうし)の支(ささ)えの中、
病気を乗り越(こ)え、
新たな仕事も
勝ち取ることができた。


また、ウエスト・ハリウッド本部で、
創価学会(そうかがっかい)の
男子部本部長を務(つと)める
ベン・ジャコブさんは、
言っています。

「芸術家の世界では、
『こうすればうまくいく』といった
方程式(ほうていしき)はありません。

だからこそ、
信心(創価学会の信心)という
人生の指針(ししん)、
福運(ふくうん)の土台が
必要だと思うんです。

皆、最初の入会動機(どうき)は、
仕事での実証(じっしょう/実際に現れる証拠[しょうこ])
ですが、
創価学会の活動を通して、
人のために尽(つ)くす喜びを感じ、
仕事に対する
使命感そのものが変わるんです。」

ジャコブさんは、
ダンスのレッスンに通(かよ)いながら、
ダンスショーなどに出演し、
夜はバーテンダーとして
働いていた。

6年前に
創価学会に入会してから、
学校のダンス講師(こうし)など、
仕事が大幅(おおはば)に
増えたそうです。

彼は、語っています。

「この信心(創価学会の信心)を
勧(すす)めることが
大切な友人に対する、
最高のプレゼント!だと
思っています。

信心を勧める仏法(ぶっぽう)対話は、
『今生人界(こんじょうにんかい)の思い出』
です。

最も偉大(いだい)な、
歓喜(かんき)の中の大歓喜です。
仏法対話をしている時は、
『アイ・アム・アライブ(私は生きている!)』
っていう感じなんですよ!」


4年前に入会した、
ジョニン・バリスさんは、
言っています。

「ニューヨークのブロードウェーで
出演していましたが、
映画に挑戦するために
ハリウッドに来ました。

仕事が見つからずにいた時、
友人から
創価学会の信心の話を
聞いたのです。

入会後、仕事も増え、
経済的に安定するようになりました。

最近では「ラブ・アゲイン」という
映画にも出演しましたよ。

今は、プロデュースの仕事もしています。
私の大叔父(おおおじ)が
マリリン・モンローを撮影(さつえい)していた
写真家なので、
彼についてのドキュメンタリーを
制作しています。

女優の仲間に、
仏法対話(ぶっぽうたいわ)をすると、
すごく共感(きょうかん)してくれるんです。

一番大きな功徳(くどく)だと感じるのは、
女性として生きるための、
『生命の根(ね)っこ』を
得(え)られたことです。

自分の内面に、
何ものにも壊(こわ)されない
価値(かち)がある、
幸福になる力があると
学べたことです。

特に、ハリウッドの女性は
周囲(しゅうい)の評価(ひょうか)に
左右される世界にいるので、
どうしても、
精神的に不安定になりやすい。

表面的なことに
幸福を求めてしまうのです。


私は、創価学会の信心を通して、
『人のため』
『社会のため』という
芸術家としての
真の使命を
知ることができたと思っています。」


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

確かに、人は、
表面的なことを気にする。

表面的なことや、
世間の評判(ひょうばん)、
それらも確かに大切だけれど、
それに振(ふ)り回されてしまうと、
自分が見えなくなっていく。
本当の幸せが見えなくなっていく。

世間の評判や評価、
それは人間にとって
モチベーションにはなる。


けれど、本当の幸せは違(ちが)う!


幸せは、どこにあるのでもなく、
自分の中にある!

そして、自分の中にある幸せを
確立(かくりつ)していった時、
はじめて本当の幸せが見えてくる。

その自分の中にある
幸せを確立し、
本当の意味での
幸せをつかんでいけるのが、
「創価学会」であり、
創価学会の、
「南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰」だと、
いえます。

また、自分の中の
確固(かっこ)たる幸せが
確立していったとき、
おのずから、
表面的な幸運や幸せ、ラッキーが、
磁石(じしゃく)のように、
ついてくる!とも言えます。


ジョニン・バリスさんが言うように、
自分の内面に、
何ものにも壊(こわ)されない
価値(かち)がある!

その『生命の根っこ』にある
幸せをつかみ、
どこまでも開花していけるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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