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こころの音199

漫画界の巨匠(きょしょう)、
手塚治虫氏の作品に、
「ブッダ」というマンガがあります。

ブッダとは知ってのとおり、
仏教の創始者(そうししゃ)です。

釈迦(しゃか)とも釈尊(しゃくそん)とも呼ばれています。

その「ブッダ」が主人公のマンガなので、
堅苦(かたくる)しいというか、
おもしろくないマンガのように思うかもしれませんが、
それはそれ・・!
さすが手塚治虫で、
いいマンガ、おもしろいマンガが、
みな、そうであるように、
読んでいるうちに、
その世界に引き込まれてしまいます。

やはり魅力(みりょく)は、
巨匠・手塚治虫が創(つく)り出す、
創造的(そうぞうてき)な、
さまざまなキャラクターだと思います。


奴隷(どれい)の身分でありながら、
その身分を隠(かく)し、
将軍の養子(ようし)となり、
のし上がろうとするチャプラ、

そのチャプラも、やがて、
奴隷であることが暴(あば)かれ、
母親と一緒に串刺(くしざ)しにされて、
死んでいく。

自分のこころ(精神)を、
動物に乗り移(うつ)らせて、
動物として行動することのできる、
不思議(ふしぎ)な少年、タッタ。

そのタッタは、
親友であるチャプラと、
親のように自分を育ててくれた、
チャプラの母を殺され、
その王国に対する復讐(ふくしゅう)を誓(ちか)う。

ブッダが国の王子であった時代、
身分をわきまえず、
そのブッダを好きになり、
愛してしまったために、
そのブッダの父であり国王に、
ブッダの結婚の邪魔(じゃま)になると、
両目をつぶされてしまう女性、
ミゲーラ。

契約(けいやく)により、
大蛇(だいじゃ)の魔物の子供となった、
アナンダは、
どんなに刺(さ)されても切られても、
必ず蘇生(そせい)してしまう、
不死身(ふじみ)の身体(からだ)を持つ。

そのアナンダは、
大蛇の魔物(まもの)と共に、
ブッダの命を狙(ねら)う。

しかしアナンダの不死身の能力も、
人を好きになったり愛したりすると、
無くなってしまう・・。
アナンダの運命は・・・。

大悪人、ダイバダッタも登場しますが、
なんとも言えない悪人に仕上(しあ)げています。
けれど、ダイバダッタの、
出生(しゅっせい)から幼少時代の物語を描くことによって、
そのダイバダッタの中にも、
人間性や愛情があることを、
かもしだしています。


読み終わって感じたことは、
この手塚治虫のブッダのマンガの中に出てくる、
数え切れない人々、
理不尽(りふじん)に虐(しいた)げられ、
死んでいった人々。

宿命(しゅくめい)にもがき、
泣きながらも、
精一杯(せいいっぱい)生きようとした人々。

その登場人物たちの生命が、
なぜだか、自分を、
励(はげ)ましてくれているような感覚(かんかく)を、
おぼえました。

ブッダの登場人物たちが、

「ガンバレ!」
「負けるな!」
「あなたの人生は、あなただけのものではない!!」
「ぼくたち、私たちの生命のための
人生でもあるんだ!!」

「だから負けるな!」
「勝つんだ!」
必ず、幸せになるんだ!!」


そう・・、自分を、
励ましてくれているような、
そんな錯覚(さっかく)をおぼえました・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

ブッダの話し、
言い換(か)えれば、
釈迦(しゃか)、釈尊(しゃくそん)の話しは、
創価学会でも、
よく、引用(いんよう)されます。

創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長である、
池田先生が、言っています。

『御書(ごしょ)に、
「教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を
うごかし奉(たてまつ)れば、
ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき
・さわがぬ水やあるべき・・」
と仰(おお)せの通り、
ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、
一切(いっさい)を動かしていく。』

ちなみに、御書(ごしょ)とは、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書かれた、
論文や手紙をすべて集めたものです。

また、ご本尊とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、
あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、
あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることをあらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。


ここで、まず引っかかるのは、
当然(とうぜん)これは、
創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる仏法(ぶっぽう)の信仰のことを
言っていますが、
創価学会の信仰と、
『釈尊(しゃくそん)』は
関係あるのか??ということです。

さきほど話しましたが、
釈尊とは、ブッダとも釈迦(しゃか)とも言われる、
仏教の創始者です。
日本のさまざまな仏教の大元(おおもと)は、
この釈迦(しゃか/釈尊)から来ている
と言えます。

ただし、現代の日本の仏教は、
釈迦(しゃか)の仏法(ぶっぽう)とは、
かけはなれたもので、
単なる形だけです。

釈尊(しゃくそん)の教えのかけらもない!
と言ってもいいでしょう。

だいたい、釈尊は、
『坊主は葬式(そうしき)に出てはいけない!
葬式というものは親しい知人や家族でやるものだ。
そんな暇(ひま)があったら、
今、苦しんでいる人のもとに行ってあげなさい。』
と言っているので、
坊主が葬式でお経(きょう)をあげるのは、
仏教でもなんでもない。
ただの金儲(かねもう)けの
エセ宗教だと言えます。

形だけ真似(まね)て、
お金儲けに利用しているだけですから、
かえって害(がい)になり、
そんな害になるものを人々に信じ込ませていれば、
その人々に害毒(がいどく)が伝わり、
その人たちを不幸にしてしまう!
ということです。

どういうことかというと、
間違(まちが)ったデタラメの宗教に
祈るということは、
その間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生を
ささげることになります。

間違ったデタラメの宗教に
自分の生命と人生をささげていけば、
当然(とうぜん)、
自分の生命と人生は、
間違ったデタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメのものになっていったならば、
その結果として、
さまざまな不幸がもたらされてしまう!
ということです。


不幸の根源(こんげん)には、
形骸化(けいがいか)した仏教にかぎらず、
神社信仰や観光宗教など、
それらの間違った宗教がある!
ということです。


話しを戻(もど)しますが、
釈尊は、仏教の創始者です。
そして、釈尊が、
何を伝えようとしたか?
というと、
それは、
『生命の法則(ほうそく)』であり
宇宙の法則』です。

簡単(かんたん)に言えば、
それは、
『幸せになるための法則』です。


それを、釈尊は、伝えようとしました。


そして、その幸せになるための
究極(きゅうきょく)の法則が
こめられたものが、
釈尊の『法華経(ほけきょう)』です。

だから、釈尊の法華経には、
その生命における、
あるいは宇宙における、
『幸せになるための法則』
が込(こ)められています。

だったら、
その釈尊の法華経(ほけきょう)を
やればいいじゃないか・・!
と思うかもしれませんが、
それも違(ちが)います。

法華経というと、
釈尊の法華経を思い浮(う)かべますが、
法華経というのは、
さっきも言ったように、
幸せになるための法則です。
そして、それは
時代時代によって、
表現の仕方(しかた)が違ってきます。

釈尊の時代であれば、
その、釈尊の法華経をやれば、
幸せになれましたが、
現代では、なれません。
この現代に、
釈尊の法華経を
いくら、やったとしたも、
幸せにはなれないし、
何の効力(こうりょく)もありません。

これは、釈尊自身が
言っていることですが、
釈尊が亡(な)くなってから
2000年以上経(た)った、
この現代という、
思想・人心が乱(みだ)れた時代では、
釈尊の法華経は、
返って害(がい)になり、
人々を不幸にする
原因(げんいん)にしかなりません。

だから、現代の日本のさまざまな仏教は、
良く見積(みつ)もっても、
その釈尊の仏教の域(いき)をでていないし、
はっきり言えば、
釈尊の仏教を適当に変え、
めちゃくちゃにしたような宗教ですから、
なんの効力もなく、
幸せにもなれません。

返って、でたらめなメチャクチャな宗教ですから、
そのメチャクチャの当然の結果として、
害になり、
人々を不幸にしてしまう!
ということです。


では、釈尊が、
本当に伝えようとした
『幸せの法則』とは何なのか?


さきほど、法華経といっても、
時代時代によって、
表現の仕方(しかた)が違うと言いましたが、
今生きている人々を、
現実に幸せにしていける
『現代の法華経(ほけきょう)』とは何なのか??
ということになっていきます。

実は、
その答えが秘(ひ)められているのが、
釈尊の法華経だと言えます。

その釈尊の意図(いと)と
隠(かく)れたメッセージをくみとり、
唯一(ゆいいつ)正しく理解し、
その現代の人々が幸せになっていける
『真実の法華経』を発見し広めたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。

そして、現代の人々が幸せになっていける、
『真実の幸せの法則』
『生命の法則』
『宇宙の法則』が、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんです。

だから、『南無妙法蓮華経』とは、
釈尊が本当に伝えたかったものなんです。

そして、『南無妙法蓮華経』が、
今生きている人々が
真(しん)に幸せになっていける、
『現代の法華経』なんです。

だから、今、現実に効力(こうりょく)のある、
悩みを解決していける、
夢や希望をかなえていける、
力(ちから)ある幸せの法則が
『南無妙法蓮華経』であり、
それが、『現代の法華経』です。

ですから、創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる信仰は、
釈尊が真に伝えたかった法華経であり、
人々を幸せにしていける、
仏法(ぶっぽう)の
究極(きゅうきょく)の真髄(しんずい)なんです。

だから、創価学会と釈尊は、
深く密接(みっせつ)な関係があり、
釈尊が望み、伝え、
実現したかったものが、
創価学会の中にある!!!
ということです。


釈尊が望んだもの、
釈尊が望み実現したかったものが、
まさしく、
創価学会によって実現されている!!
ということです。


だから、

「『教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を
うごかし奉(たてまつ)れば、
ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき
・さわがぬ水やあるべき・・』
と仰(おお)せの通り、
ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、
一切(いっさい)を動かしていく。」

と話したように、
創価学会のご本尊への必死の祈りは、
そのまま『釈尊』に通じていく。
なぜなら、
創価学会が実践している
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
「釈尊の望み」、
「願い」そのものであり、
『南無妙法蓮華経』が
釈尊が伝えたかったことだからです。

ゆえに、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、
釈尊のいう宇宙の法則、
生命の法則、幸せの法則を
実行することになり、
それはいわば、
釈尊自身をうごかすような
大きな結果を生み、
その結果、
悩みを解決できたり、
夢や希望をかなえていけたり、
さまざまな困難(こんなん)も乗り越(こ)えて、
幸せになっていけるわけです。


それが、創価学会の祈りなんです。


ゆえに、池田先生が言うように、

『教主釈尊を動かすことができれば、
ゆるがぬ草木はない!
さわがぬ水はない!』

そして、祈りをかなえ、
幸せになっていける!!


それが、
釈尊が本当に伝えたかった
宇宙と生命の幸せの法則であり、
究極の力(ちから)である、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと
いうことです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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