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こころの音201

先日から話していますが、
漫画界の巨匠(きょしょう)、
手塚治虫氏の作品で、
「ブッダ」というマンガがあります。

その中で、親を殺した、
悪名高いアジャセ王が登場する。

親を殺した後、
アジャセ王の頭に腫れ物(はれもの)ができ、
その腫れ物はどんどん大きくなり、
アジャセ王は苦しむ。

治(なお)すための治療(ちりょう)方法も見つからず、
医者も途方(とほう)にくれるなか、
ブッダは、

「ためしてみる!」

と言い、
ブッダ独特(どくとく)の治療を始める。

そしてその治療を一日12時間、
三年間も続けた。

そしてブッダの治療は功(こう)を奏(そう)し、
アジャセ王の病気は
回復(かいふく)に向かう。

そんな中、
ブッダを嫌(きら)い
憎んできたはずのアジャセ王が、
ブッダに向かって、
感謝のまなざしで

「ニコッ」

と微笑(ほほえ)む。


ブッダは喜ぶ!!

「王がはじめてほほえまれた!」

「かいがあった・・」

「あの微笑みは・・・
まるで・・・・・
神のようだった!!」

「・・・、
神・・・・
神だって!?」

「なんたることだ!?
神・・・・・」

「わかったぞ!
そうだ!
わかったぞ~~っ!」

「人間の中にこそ・・・
神がいる・・・
神が宿(やど)っているんだ!!!」


ブッダは喜びのあまり、
走りつづけ、さけびつづけた!

「私はアジャセ王の微笑みに
神のような美しさを見つけました!!」

「修行僧(しゅぎょうそう)でもない、
聖者(せいじゃ)でもない、
ふつうの人間です!!」

「神というのは
だれの心にも宿っているのですな!?
だれでも神になれるのですね!?
そうでしょう?」

「私はいままで、
きびしい修行をして聖者になることを、
弟子たちに教えてきました。」

「そうじゃない!
そうじゃないんだ!!
聖者どころか、
神には・・・
だれでもなれるんだ!!!」



マンガとはいえ、
なかなか鋭(するど)いと思います。

神というと大げさかもしれないけれど、
アジャセ王の微笑みに
神を見たと言っているので、
その「神」というのは
大げさな超人的(ちょうじんてき)なものではなく、
人間性に直結(ちょっけつ)するもの、
より人間らしいもの、
人間性の究極(きゅうきょく)、
人間の中にある
「大いなる尊厳(そんげん)」
のようなものなんだと思う。

その「大いなる尊厳」
「人間性の究極」のようなものが、
すべての人の中に、
そなわっている・・・!!!


そのようなことを
言いたかったのではないか? 
と思う。


そしてその、神のような生命は、
実は、
すべての人の中に
そなわっている!!


実は、ここに、
仏法(ぶっぽう)の
優(すぐ)れた思想と哲学(てつがく)がある。

神のような生命というと、
わかりずらいかもしれませんが、
幸せをもたらす生命、
幸せをもたらす無限の力(ちから)と考えると、
わかりやすいかもしれない。


その幸せをもたらす無限の力は、
自分の外にあるのではない。

「自分の中にある!!!」


このように、
幸せを自分の外に求めるのではなく、
自分の中に求める生き方を、
『内道(ないどう)』
といいます。

「内(うち)」に幸せを求める「道」
ということです。


それに対して、
自分の外に幸せを求めることを
『外道(げどう)』
といいます。

地位や権力(けんりょく)、
お金や世間の評判(ひょうばん)など、
自分の外にあるものによって
幸せになろうとする生き方が、
「外道」の生き方だと言えます。

環境がこうだから幸せになれない。
あの人がこうだから幸せになれない・・・と、
幸せになれない理由を、
自分の外に並(なら)べ上げたりする生き方も、
『外道(げどう)』の考え方であり
生き方だと言えます。


そして、「外道」の典型(てんけい)と言える宗教が、
実は「キリスト教」です。

キリスト教は、神という、
自分とは、かけ離れた存在に、
幸せを祈ります。

自分には幸せになる力(ちから)がないから、
神におすがりするということです。

自分には幸せになる力(ちから)がないから、
自分とは、かけ離(はな)れた存在である神様に、
ひたすら、
おすがりして、ほどこしてもらう・・。

そういう意味合いが強くなっていきます。

けれど、ここには、
はっきり言って希望はありません。

神をあがめても、あがめても、
自分と神との距離は
永遠に縮(ちぢ)まることはなく、
神をあがめれば、あがめるほど、
逆に人間との距離がどんどん離れていく。

人間は、どんどん卑小(ひしょう)になり、
みじめな存在になっていく。

そして精神的には、
自分という存在(そんざい)が、
神の奴隷(どれい)のようになってしまいます。

この絶望(ぜつぼう)のドグマから
解放(かいほう)されることは永遠になく、
人間は救われない生き物だということに
なっていきます。


ここにキリスト教の限界(げんかい)があり、
キリスト教に疑問(ぎもん)をいだき、
キリスト教から離(はな)れていく人も
多いと思います・・。

また、キリスト教でなくても、
現代の日本の宗教、
葬式(そうしき)仏教や神社信仰、
観光宗教なども、
単(たん)なる「外道の宗教」でしかないと言っても、
おかしくないと思います。

正月などに、「パンパン」と手を合わせて、
棚(たな)からぼた餅(もち)のようなことを
祈る・・。

それこそ、
自分の外にあるものによって幸せを求める
典型(てんけい)だと思います。

葬式仏教などでは、
葬式で坊(ぼう)さんに高いお金を払って
お経(きょう)をあげてもらう。
それで亡くなった方が
成仏(じょうぶつ)するんだったら、
こんな簡単なことはないけれど、
そんなことはありません。


大切なことを、
人におまかせして祈ってもらう。
考えてみたら、おかしなことです。


一番大切な幸せを、
なにか外から降(ふ)ってわいてくるように、
神頼(かみだの)みしてみたところで、
それで幸せになれるとは考えられません。

それどころか、
葬式仏教や神社信仰、
観光宗教それ自体(じたい)が、
実際、デタラメな間違(まち)った宗教であるために、
それにおすがりして祈るということは、
間違ったもの、デタラメなものに、
おすがりすることになり、
その人を不幸にしてしまう・・。

どういうことかというと、
間違ったデタラメな宗教に祈るということは、
間違ったデタラメの宗教に
自分の生命と人生を
ささげることになります。

間違ったデタラメの宗教に
人生と生命をささげたならば、
当然(とうぜん)、自分の生命と人生は、
デタラメで間違ったものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメなものになっていったならば、
その結果として、
さまざまな形で
不幸がもたらされてしまう!
ということです。


不幸の根源(こんげん)には、
葬式仏教や神社信仰、
観光宗教など、
それらの間違った宗教がある!
ということです。




手塚治虫のマンガ「ブッダ」の中で、
ブッダは言った。

「人間の中にこそ・・・
神がいる・・・」

「神というのは、だれの心にも宿っている!」

「神には・・・
だれでもなれるんだ!!!」


神というと、やはり少し大げさで、
取っ付(とっつ)きづらい感じがしますが、
「神」という言葉を、
「幸せ」「幸せをつかむ無限の力」
に置き換(おきか)えると、
わかりやすいと思う。

「人間の中にこそ・・・
幸せをつかむ無限の力がいる・・・」

「幸せをつかむ無限の力は
だれの心にも宿っている!」

「幸せには・・・
だれでもなれるんだ!!!」

そう言い換(か)えると、
わかりやすいと思います。


そして、その通り、

『幸せには、だれでもなれる!!』

その力が、人間の中には、
元々(もともと)、そなわっている。


問題は、その幸せになる力を、
引き出せるか、
出せないかにかかっている!
ということです。


では、その幸せになるための無限の力を、
どうやって引き出すのか・・・?

実は、ここに仏法(ぶっぽう)の命題があり、
その究極のメッセージを伝えたのが
「ブッダ」すなわち「釈尊(しゃくそん)」
だと言うこともできます。

そして、その釈尊の究極のメッセージを、
唯一(ゆいいつ)正しく汲(く)み取り
理解し、広めたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。


その日蓮大聖人が発見し広めた、
釈尊の究極のメッセージとは何か・・・?


実はそれが、
「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」
なんです。

そしてその「南無妙法蓮華経」が、
人間の中に元々そなわっている、
幸せになる無限の力を引き出す、
究極の力であり
法則(ほうそく)だと言えます。

だから南無妙法蓮華経とは、
人間の中に元々そなわってる、
幸せになるための無限の力を引き出す
『秘宝(ひほう)』
だと言えます。

そして、その人間の中に元々そなわってる、
幸せになるための無限の力を引き出す方法が、
『南無妙法蓮華経をとなえる!!』
ということです。

だから、南無妙法蓮華経をとなえていった時、
自分の中から幸せになるための
無限の力を引き出すことができ、
そのことによって、
悩みを解決できたり、
困難(こんなん)を乗り越えることができたり、
夢や希望をかなえていくことが
できたりするわけです。

そしてそれが、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえる
という仏法(ぶっぽう)の信仰です。

また、
仏法の神髄(しんずい)である
『南無妙法蓮華経』を
唯一(ゆいいつ)正しく把握(はあく)し、
その南無妙法蓮華経の仏法を
正しく実践(じっせん)しているのが、
『創価学会』だということもできます。

それゆえに、
創価学会は世界192カ国に広がり、
世界中の人の悩みを解決し、
夢や希望をかなえさせ、
その人たちに幸せと勝利をもたらしている・・・!


そう言えると思います。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

手塚治虫のマンガ「ブッダ」の中で、
ブッダは言った。

「神というのは、だれの心にも宿っているのですな!
だれでも神になれるのですね!」

「神には・・・
だれでもなれるんだ!!!」


それは、人間性の勝利を
意味していると思います。

人間の中にある尊厳(そんげん)の勝利!

人間という生命の勝利!!

その人間の勝利の凱歌(がいか)である叫(さけ)びが、
マンガ・ブッダの言葉だと思う。

そして、その人間の中にある
尊厳の勝利、
人間の中にある生命の勝利は、
人間を開花させる
具体的なエネルギーとなっていく。

すなわち、
人間の中の尊厳の力、
生命の力が、
悩みや問題を解決する力となり
エネルギーとなっていく。

また、人間の中にある尊厳の力、
生命の力は、
夢や希望をかなえる
大きな大きなエネルキーとなっていく。

そして現実に、
悩みや問題を解決でき、
夢や希望をかなえていくことができる。


なぜなら、
幸せになるための無限の力は、

「自分の中にある!!!」

からです。


そして、自分の中にある
幸せの力に目覚(めざ)め、
その力を引き出していったならば、
その人は当然、
幸せになり、
勝利していく。


それが、創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の
仏法(ぶっぽう)の法則であり、
その幸せの法則通りに実践しているから、
創価学会の人たちは
幸せになっていけるわけです。



幸せには、だれでもなれる・・!


幸せになるための無限の力は、
人間の中にある!!


マンガ・ブッダの中で、
ブッダがそのことを発見し、
大地を走り、
大きな大きな歓喜(かんき)を味わったように、
その「幸せになるための無限の力」である
『南無妙法蓮華経』をとなえていった時、
その人の生命は歓喜する!!
その人の生命は高揚(こうよう)する!!

その歓喜は、
生命を開花させる喜びであり、
幸せをつかむ感動であり、
勝利をもたらす
巨大なエネルギーになっていく。

そして、悩みや問題を解決し、
夢や希望を
かなえていけるようになっていく!!!


それが、ブッダ、
すなわち釈尊(しゃくそん)が伝えたかった
『南無妙法蓮華経』であり、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと
いうことです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

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